着眼点の不思議
みんな、似たようなことを言ってるな。と思う。
これはくだらないことを言ってる人たちや、合理的思考を突き詰める人たちも特に変わらない。
この時代は特に情報量やタスクが増えていってる。とあるニュース番組で耳にしたのだけれど、完璧主義より完成主義。という言葉が密かに浸透しているらしい。
ようするに、やることがありすぎて何かにこだわっている暇がない。だからとりあえずの完成を目指し、次のタスクへ移行する。ということだろう。
こうなっていけば無論、無意識のうち、皆が皆"最短距離"を目指すようになっていく。いかに物事の結末をはやめるか。そしてそういったものをどうやって量産していくか?頭がどんどん生産的になっていくのだ。
音楽で言うならDTM、DAWを駆使してデータとして軽量化されていくトラック。アナログにはないスピード感で大量にストックされていく楽曲。
BOOK・OFFに並ぶ大量かつ安い中古本。沢山の活字に浮気する自分。
NetflixやAmazonプライムで大量に散らばる映画。今日は何を見ようか。あれとあれを見て。あれも見よう。
SNSや出会い系サイトに大量に存在する異性。
どうやったら手っとり早く"ときめいたり"、幸福感を感じられるか?既にそういった刺激には慣れてしまった人は、さらにより官能的なセクションに移るかもしれない。どうやってしとめよう。どうやって夜の世界に誘おう?
こういったコンテンツの分散は個人の心も分散させていく。だが人間の脳の作り自体は古代からさほど変わってもないだろう。振り子の法則で行きすぎた重りが元の場所へ戻ろうとして、かえって元の位置より大幅に戻ってしまう皮肉な有り様さ。
私から見ると、"無意識に"「着眼点を同じにしよう。だってそうしないとこのまま皆バラバラになっちゃうから。」という心理を、多くの人が抱えているように見えるのだ。
それはなぜかーー?
現実、そういった視点がないとまとまりがなくなってしまうのは事実である。だけれど、結局そこから導かれた言葉や思想というのは、統一されているものにすぎないとも言える。もっと掘り下げていこう。
迷ってる自分は本当に真なる自分なのか?
悩んでる貴方は本当に真なる貴方なのか?
空がこんなにも広大なのに。心が自由を感じないのは、可能性を狭めて嘆いているのは。鳥とは違って、私が羽の存在しない地に足をつけた人間だからなのだろうか?
そんなことを考える隙間もないほど、世の中は忙しなく、儚くなりつつあるようだ。
少し話を逸らして肯定的側面という意味で言うなら、簡単に乗り換えられることだろう。
人間関係にプレッシャーを感じたら、ブロックか既読スルーするライン。
好きなアーティストに飽きてきたから、YouTubeで新たな好みの曲でも漁ろう。
彼氏、または彼女が重くなってきた。SNSでいい感じのにメッセージやりとりしてる人がいるからそっちに行ってしまおう。
現実世界では出会えなかった、マニアックな趣味を共有するグループに参加しよう。現実では抜けずらいけど、ネットなら合わなければすぐに抜けれる。
常に気持ちをリフレッシュできる。逃げ道が存在する。自分の気持ちに正直な行動を取れる。という点においては、自由度が増えていくのは悪いことじゃないけれど、それは相手にも同じことが言える。相手もまた自分に飽きたら、どっかに行ってしまうかもしれない。
こうした緊張感がより執着の強い人たちの束縛心を強めたり、自分の価値がわからなくなって不安になっていく現象を作っていっている気がする。
状況や条件的にはすぐに裏切ることができるシステム。こういった不安は、一人でいることへの恐怖へと繋がっていく。自分と似た発想のアルファやインフルエンサーをフォローし、違う発想を持つ人たちを嫌悪したり敵対する。そういったことで一体感を演出したり、ストレス解消したり。
そして自分が依存したり、自分が崇拝している人間が、自分の願望とズレたことを言えば、「裏切り者!」とでも言うかのようにてのひらを返したり、その場を後にするのだ。
現代社会の人々の着眼点には無意識にそれらが刷り込まれている為か、全てがスムーズであり、全てが結論に向かって行動しているように見える。
例えば。いきなりYouTubeをはじめとした動画配信サイトが全部消滅して、TSUTAYAやGEOでDVDを借りなければならなくなった。しかも一本1000円。
こんな世界になったら皆どう思うだろう。
きっと「ふざけんな!」ってなるだろうね。格安でコンテンツを手にした成功体験が、自分の基準値を大幅に書きかえてしまったから当然と言える。
こうした"以前の基準値"から大幅に脱線した時代の変化が当たり前のことを当たり前のこととして受け入れられなくなっている。
忙しい中で沢山のタスクに振り回され、何が本質なのかを考えることができなくなる。
心を平安で埋める為に、より外側に答えを求め、余計に混乱していくジレンマ。
混乱した政治に冷静になれなくなる。気づけば他のユーザーと一緒に政権批判している。または、そういった思想を真っ向から否定し、逆にそれらを批判している。
そんな時には。
急ぐべき状況でかえって自分だけスピードを緩めれば、温度差を利用して周りの光景を客観視できることもあるし、緩めなければならない状況で独走すれば、独自の景色が手に入る。おそらくそれは、感性と呼ばれるものに相応しい。
永遠と呼ばれるもの。そういった崇高なものが希少価値になりつつある世の中だからこそ。ダイヤモンドのような心を忘れず生きていきたい。
Mr.J-Boy