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三宅ノート

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2014年11月の記事一覧

これからのAIの研究、ゲームのために

ゲーム制作の場合、キャラクターと環境とのインタラクションは、主にユーザーキャラクターを中心に構成される。ノンキャラクタープレイヤーは、最低限のインタラクションへ収束する。環境内のシミュレーションも環境とのインタラクションも、ユーザーエクスペリエンスに反映する部分に限られる。

もうお化け屋敷的なAIは通用しないが、それでもキャラクターの生態も生活もシミュレーションされることはない。それがメインなゲ

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物語は行きて帰りし物語でなければならない

物語は行きて帰りし物語でなければならない。

物語の役割は新しい物語を与えることではなく、
物語を経て新しい現実を読者にもたらすことにある。

日本のアニメは引き込みがうまい。天才的にうまい。こんなコンテンツを作れるのは日本だけだ。

しかし、そこから現実への返しが致命的に下手だ。どんなに面白いアニメでも最終話でがっかりするのが八割だ。

残響のテロルは引き込みが最高にうまかったけ

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80年代ノスタルジア

なんでかな。70年代より、90年代より、80年代はたくさんのものが詰まっているように思える。

尾崎豊の「My Little Girl」なんて聴いていると、そこに流れていた空気が濃密なことを感じる。

今から見れば情報の随分ととろい時代であり、だからこそ、いろんなものが蛸壺的に凝縮して一所にあった。今ならホットロードの暴走族みたいなものは、あっという間にツイートされていて、まとめサイトがで

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キャラクター内部のAIのメタ構造とは

キャラクター内部のAIのメタ構造とは、

複数の思考モジュールを用意しておき、状況に応じて、
どの思考モジュールを使うかを決定したり、

複数のモジュールを連携させて、
機能を創出することです。

これは人間の「考え方を決定する」ということにあたっていて、
これは知能が自分自身の思考の仕方を認識しているという、

高次のメタ情報、メタ構造に基づく、高度な知性の機能なのです。

それは出口のない戦いであり。

知らない土地で道に迷って、
ようやくのことで駅に戻って来て、
ふと気が付くと、どんな道をたどって帰って来たんだけっけな、
思い出せない...。

これはそんは話だ。

90年代は、過剰に個人の内面がクローズアップされた時代だった。

いろんな社会の仕掛けが滑落して、人の形を抑え付けていたバブルの波も、世の中の規範もなくなって、

支えを失った内面が肥大化したり、不安になったり。
きっとあの当時のア

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ダンス、ダンス、ダンス。

周りで犬が飛ぶと、赤ちゃんは飛ぼうとする。

誰かが踊ると、子供は真似ようとする。

脳はきっと、世界とダンスしようとしている。

世界と一緒に踊ろうとしているのだ。

だけど脳は不器用なので、遅れるし、見様見真似だし、

その不器用な踊りが、僕たちが認識と呼ぶものだ。

一緒に手を取り合って踊ろうとすることが行動だ。

ダンスはいつだって、どこ文明にもあった。

ダンスは認識であり、ダンスは行動

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ラグビ-、ボール=技術、イマジネーション

高校の頃、ラグビーをやっていた。時代で言えば、オールジャパンは平尾がリーダーだった頃だ。

平尾は何かのインタビューで、日本人はよく練習するが海外で勝てない。それはイマジネーションがないからだと言っていた。オックスフォードとかは二時間の練習しかしない。しかしプレイに対するイマジネーションを以って練習するから、うまくなる。イマジネーションも持たずがむしゃらに練習してもうまくならない。

当時は国際試

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他人を許すということ。

教育で決して教えないこと、それは他人を許す、ということだ。

それを教えるのは、とても難しい。

「~しなければならない」「~してはいけない」
「~は~である」「これだからこう」とか、
討論で勝つ方法とか、論理的思考とか、

そういうものは教えられる。それは規範だからだ。

規範から外れたもの、罪を犯したものを許すことは難しい。
だからより一層それを人に教えることは難しい。

なぜなら許すことがで

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ファンタジーとRPGの歴史をもう一度掘り起こそう。

ファンタジーとRPGの歴史をもう一度掘り起こそう。もう一度そこに深く根を下ろし、根源にある混沌を向き合う。それによってファンタジーRPGに新しい生命をもたらすこと。二次の上の二次が重ねられた歴史に、力強い源流の流れをもう一度流れを導くことで、現在とファンタジーを真正面から対峙させること。

じゃれあっているモンスターってラブ

動物というのは人間以上にスキンシップをするんだなあ。
そういうところって、僕たちがモンスターを作る時に、忘れるところなんだなあ。
言語とかシンボルコミュニケーションより前に、
動物は鼻をくっつけたり、噛み合ったり、舐めたりして、殴ったりして、
スキンシップを取るのだ。もちろん、そういう処理は面倒な処理なので、
なるべくやりたくないのはわかるけど、
わかってやらないのと、わかってなくてやらないのは違

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創作とは、もう一度結び付ける。

創作する人が不安定なのではなく、
不安定な人が創作家になる。

なぜなら、創作とは分裂したものを、                 もう一度結び付け総合しようとする試みだからである。

そこには錬金術的な投影によって分裂した自己の統合を促す、
治癒的な作用があるからである。

創作家が苦しむのは、作ることによってではなく、
作れないことによってである。

作ることで、その人は一時にせよ、心の平和を

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