他人を許すということ。
教育で決して教えないこと、それは他人を許す、ということだ。
それを教えるのは、とても難しい。
「~しなければならない」「~してはいけない」
「~は~である」「これだからこう」とか、
討論で勝つ方法とか、論理的思考とか、
そういうものは教えられる。それは規範だからだ。
規範から外れたもの、罪を犯したものを許すことは難しい。
だからより一層それを人に教えることは難しい。
なぜなら許すことができるのは、とても強い人間だけだからだ。
エリートさえ、そんな教育は受けない。
エリートは、新しい道を切り拓き、人を背負い、未来へ導く。
そんなエリートたちが国を動かし、そして、お互いの国同士を、
決して許すことはない。それは国益に反し、カードを一枚失うことだ。
時にエリートこそが決して他人を許すことができない人たちで締められる。
頭の良い人間ほど、疑いは深く、
許すことにたどり着かない。
寛容であることは、どこまでも難しく、
不寛容の連鎖は多くの人々を縛り、結果として大勢の人を苦しめている。
その鎖を解き放つものは何か。それは寛容の実行である。
それは誰にとっても難しい。でも人はそれを考えねばならない。
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18019.html