それは出口のない戦いであり。
知らない土地で道に迷って、
ようやくのことで駅に戻って来て、
ふと気が付くと、どんな道をたどって帰って来たんだけっけな、
思い出せない...。
これはそんは話だ。
90年代は、過剰に個人の内面がクローズアップされた時代だった。
いろんな社会の仕掛けが滑落して、人の形を抑え付けていたバブルの波も、世の中の規範もなくなって、
支えを失った内面が肥大化したり、不安になったり。
きっとあの当時のアニメもゲームも、そんな流れの中にあった。
それは出口のない戦いであり、
どんな少年も内面に剣を持った勇者であるような、
それでいてなんでもない平凡な街人であるような、そんな時代だ。
劇場版が「きもちわるーい」で終わっても、
「世界を革命する力」で世界が変わらなくても、
スポーツカーで学園から飛び出しても、
それで、今思えば、ああいった内面の凝視と閉塞から
どうやって外に出て行ったのかと言えば、よく思い出せない。
確かに、インターネットは普及して、
秋葉原が有名になって、
いろんな物事の距離がハチャメチャになり、
ネットでアニメを見れる時代になり、
SNSが流行ったり、ネットブロガーが有名になったり、
内面の世界と外の世界だかがマージされて渾然と一体となったり、
プリキュアが10年になったり、
エヴァがもう一度リバイバルしたり、
Gレコが微妙なヒットだったり、
セーラームーンがネット配信だけだったり、
ヤマトの古代が今風になっていたり、
幾原監督が帰って来たり、
そうやって時代が進んで来たけれど、
そういえば、あの内面が結晶化するまで抑圧されていたような、
個人の内面を通ってどこかに出ようとしていた、あの暗いトンネルって
僕はいつ抜けたのか、ひょっとして抜けていないのか。
ブギーポップのラノべを抱えて、歯を食いしばっていた自分は
どこへ行ったのか、
世界は革命されたのか、
LCL の海で溶けた人々はどうなったのか、
学園を飛び出したウテナとアンシーはどこへ行ったのか、
シムーンとはなんだったのか、
ナイトレイドは面白かったのか、
ハチクロの森田は今どうしているのか、
これは、とりとめもない、そんな秋のよしなしごと。
明るく月の出る晩は、ふっと知らない夜道が、
まるではっきりと過去に続くように、照らし出される。