ラグビ-、ボール=技術、イマジネーション

高校の頃、ラグビーをやっていた。時代で言えば、オールジャパンは平尾がリーダーだった頃だ。

平尾は何かのインタビューで、日本人はよく練習するが海外で勝てない。それはイマジネーションがないからだと言っていた。オックスフォードとかは二時間の練習しかしない。しかしプレイに対するイマジネーションを以って練習するから、うまくなる。イマジネーションも持たずがむしゃらに練習してもうまくならない。

当時は国際試合を見ても、それは明らかだった。変幻自在の攻守の変形は全メンバーのイマジネーションか一致して初めて可能だ。ラグビーは実はイマジネーションのスポーツなのだ。

ゲーム開発もそうだなって思った。技術者は論理だけではだめだ。技術者もプランナーも技術に対するイマジネーション、技術を使ったイマジネーションなくてして、ゲームへの導入はあり得ないのだ。

がむしゃらに技術を作るでもなく、がむしゃらにゲームコンテンツを詰めるのでもない。プレイのイマジネーション、技術を使ったイマジネーションが、今、日本のあらゆる場所で足りない。

与えられた道具を使う教育ではない。まだ見ぬ道具をイメージする、まだ見ぬ使い方をイメージする。そんな教育が必要だ。

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