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こんにちは、甘野充です。 僕はnoteで小説などの創作作品を販売する甘野書店をやっていますが、このたび何でも販売できる甘野商店を始めました。 「甘野書店」ではエッセイが販売できなかったのですが、「甘野商店」では販売可能です。 noteで有料記事を販売している人は、ぜひとも「甘野商店」でお売りください。 ご希望の方はコメント欄に参加希望と書いてください。 このマガジンの共同運営者として招待します。 招待メールを送りますので、noteに登録したEメールアドレスに
こんにちは、3時のおやつです。 熟年主婦です(笑) この記事に目を留めて下さる あなたは 何かしらnoteで収入を得たい 日常の時間を少しでも お金に変えてみたいと 思っているのではないでしょうか。 コロナ禍にパートをやめて 専業主婦になった私は こんなことを思っていました。 家に居ながらにして 少しでも収入が増えればいいな〜。 約9ヶ月前から始めてみたnote。 現在私は、このような有料記事と並行して有料レシピをnoteで販売している普通の主婦で
いろんなことに手を出している私ですが・・・ 一番好きなことは仕事にしないようにしています。 転職歴もそこそこにありますが、気をつけていた点はここでした。 私は文字で物事を伝えるのが好きです。
以前は気にならなかったカードなのですが、最近よく引くカードがあります。 聖杯の7です。
不登校の問題って、必ずゲームの話は出てきますよね。なので今回は…当時のわが家のゲームの状況を、お話してみたいと思います。 ゲームは社交のためのツール 二人とも確かにゲームばかりしていた時期がありました。 私はゲームに神経質な方ではなかったので、執着しているという感じにはみえなかったんです。 ゲームを推奨している訳ではありません あくまでもわが子の場合です。
今回はわが子が不登校になって、初めての夏休みの体験をお話しします 徳島に来た 十数年前のこと、高速バスが止まると私たちは初めてこの土地に降りた。 徳島県鳴門 ー ここでは私たち親子のことを知る人は100%いない。 それだけでも開放感は十分にあった。 ここも家の近所と同じなんやね! 駅前にあるチェーン店のご飯屋さんを見て息子は言った。 まだガラケーを使い始めたばかりの あの時の中2の息子は、四国という土地をどのように思っていたのだろう。
こんにちは、甘野充です。 先生、というと学校の先生を思い浮かべます。学校の先生は生徒に勉強を教えます。明らかに先生ですね。 お医者さんも先生と呼びます。お医者さんは体の病気を観て診断してくれます。やっぱり先生ですよね。 じゃあ小説家はどうでしょうか? 何か教えてくれますか? どうして先生と呼ぶのですか? 学校の先生もお医者さんも資格を持っています。 小説家に資格はありますか? 何かピンと来ないんですよね。 今日は僕がそんなことについて感じていてることを書
聞いてください ー 今日はね、 わが子(長男)が小学校低学年の時に言ったことと、私のお粗末な対応を💦 マジメをどう考えるか 「お母さんは真面目過ぎる!」 いきなり放たれた言葉 何の話しをしていたのかは覚えていない でもこの一言は結構衝撃だったんです。
不登校の悩みとは、どんな悩みですか? その悩みの内容は、その人の立場により変わります。 学校に行けない子どもからみると 人生の悩み というかも知れません。 友だちとのトラブルが発端だったとしたら 人間関係の悩み そういう捉え方なのかも知れません。 そしてママ視点での悩みはもちろん わが子の悩み なのですが、それではあまりにもザックリし過ぎていて、解決策を考えるのが困難になります。 ママは一体わが子の何に悩むのか? その疑問から、ママの視点に絞った不登校の問題を
こんにちは、甘野充です。 小説を書く上で、自分の世界観や文体は非常に重要な個性であることは確かです。 しかしながら多くの人に読まれるためには、癖が強すぎても駄目だし、個性が強すぎてもだめなのです。 普通でありながらじわじわと自分の世界にのめりこんでもらえるファンを作らなければなりません。 ココイチのカレーのように、とびぬけて旨いわけではなく、誰にでも親しみやすい飽きの来ない味。それがベストなのです。 まず、癖があると、ハマればいいけどハマらないと嫌われます。
(この記事は無料の時よりも、内容が大幅に増え濃いものになりました。) わが家の場合長男が中2のとき、そして半年たって小5の次男が不登校に陥りました。もうかれこれ15年以上前のことになります。 オーダーメイドの対応が必要
今さらの気づき わが子が学校に行かなくなってから季節がいくつか移り変わっていた 心が不安なのだろう。 携帯に度々電話が入るようになっていたから、私は仕事を辞めていた。 子どもたちが家にいることが当たり前になっている。 だからといってわたしは何も話してやることが出来ない。 傍にいるのに、子供たちがとんでもなく遠い場所に行ってしまった気がする。
やってしまった。 しくじった。 私は今日、失恋した。 付き合って一年目の彼と、愛もない喧嘩だったのだが、つい捨て台詞で 「もう知らないっ!別れよう!」 と言ったところ、 「おう、俺もそろそろ別れたいと思っていたんだ!ちょうどいい、もう別れよう」 という顛末である。
母と私の微妙な関係 4年前母を亡くしました。 母と私との関係について…今まで何かスッキリしていなかったんです。 私と母は仲が良いわけでもなく悪いわけでもない。 お互い協力はするけど交わらない。 しいて言えばここだけは甘えたけど…父を怒らせると厄介な空気になるので、反抗期の頃は主に母に八つ当たりをしたように思います。 私がもの心ついた時、母の印象は机に向かってものを書く人でした。