三県の あつまる点で 宴会を 景色喜ぶ 端午の節句
「もっと見晴らしがよければよいのになぁ」ある年の端午の節句、こどもの日にひとりの初老の男がつぶやく。
ここはA、B、Cと3つの県の境界線が一致する点のようなところである。昔からA県側にある村の人々は端午の節句になると、山を登り境界線になっている広場で宴席を設けるのが古来からの習わしであった。
広場の中心近くには大きな杉が数本並んでおり、その中心に行者こと役小角という修験道を切り開いた開祖を敬う小さな祠がある。その開祖への畏敬の念をもって端午の節句になると、みんなで宴席を設けるのだという。
「あそこの木が無くなったら見晴らしがよくなるなぁ。きっと」ある年の宴席の席で、ひとりの若者が木々に指さしてそういった。みんなが若者の指さした方向を見る。確かにその木々がなければ、隣のB県の山の下にある町並みが一望できるのだ。
実はこの宴席の前にある祠は、B県側の山の中腹にある寺との関係も深い。B県の人たちは山の中腹の寺と同時に山の上にある祠にまできて参拝する。
その証に宴席の時に杉と祠を囲む幕を寄贈したのはB県の村に住む人であった。
宴席にいた一同は、気が生い茂っている山の主に交渉することに決める。その山の土地は反対側だから自分たちA県のものではない。当初はB県のだれかの所有だと思った。ところが調べるとある事実が判明する。それはC県に住む人の土地だったのだ。見晴らしがよくなれば、B県だろうがC県だろうがどうでもよかったA県の人たちは、C県に住む山の主に山の木を切ってほしいと、ダメもとで交渉した。
C県の山主は意外に簡単に首を縦に振る。「ただし条件がある、木をあなたたちで切ってくれないか」と言うのだ。木を自分たちで切り倒すだけで見晴らしがよくなるのであれば、A県の人たちはすぐに行動に移した。
こうしてC県の山主の木が切り倒されると、予想通りB県の下界にある町がくっきりと見える。見えるのだ!
「おおお!」この年の宴席でA券の人たちの驚きと喜びの混じった声は、となりの山まで響き渡った。
後日、このことに感謝したA県の人たちは、C県の山主に対して感謝状を贈ったという。
三県の あつまる点で 宴会を 景色喜ぶ 端午の節句
(さんけんの あつまるてんで えんかいを けしきよろこぶ たんごのせっく)
※今日は地元の人から直接聞いた実話をもとに創作しました。厳密には三県のうちのひとつは府ですが、ここは全部県という事で統一しました。
今日の記事「河内長野の石見川の人が行者杉に集まる」を参考にしました。