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【2025年】降ってくる未来を受け止めろ💥💥💥

なんというか、
わたしは
『時間軸のなかを』
『過去から未来へと歩いてゆく』
という見方をしていなくて。




未来は上空にある雨雲のようで、
過去は地面を形成している。




未来が上空から“落ちてくる”から
それを受け止めることができれば、
それが自分自身の『現在』になる。





上空から下降してくる“未来”を
この手で受け止めることが
最優先事項だから、
『現在』について検証するのは最小限、
“過去”については可能なかぎり早く忘れる。




わたし自身は
そんな世界観(時間観)を生きています。







♡♡







♡♡





そんなわけだから、
多少なりとも
“未来予知”はできる。





それが“当たる”かどうかは、
まったく責任は持てないのだが。






わたし自身は
『それがそうなる前提でしか』
(※わたし自身の未来予測がまるで100%確実に当たるかのように、しか)
行動できないのであり。




それによると、
いまのこの人生は
2025年で終わる。
何月何日なのかは分からないが、
わたしは2025年に
この世界から去る。





♡♡






♡♡





たしか、
2019年の秋にも、
その先の世界が
言ってみれば『急カーブしている』のが見えてしまって。




そのときに感じたことは、
たとえば日本だけで
『1億人の人間がいる』
としても
『中の人がいない』のが大半であり。





つまり、
①中身としての魂を伴った人間、と
②中身のないただのニンゲン、とに
人類ぜんぶを二分類してみたとき。




じつは、その大部分が、
魂を持たないただの“群衆”なのだ。
魂を伴った“人間”は、全体のごく一部にすぎないのだ。

(※松村潔先生が作家のコリン・ウィルソンを引用して説明するところによると、全人口の5%程度)

その事実が、
これから白日の元に晒される。




そんな“未来”を感じ取ったのが
2019年秋のことで。





はたして、
2020年にはコロナ騒動が勃発し、
2021年からはワクチン禍。
2022年からははっきりと人口激減時代に突入。




これは、
ワクチンは猛毒なので
接種者は次々と死んでゆく、
という『物質的事実』だけではなく、

魂を伴った『真の人間』と
中の人がいない『ただの肉』とでは
本来、別の種族であるので、
この先は“棲み分け”が進行することになり、
そのための下準備として、
『ただの肉』は大量淘汰される時期に入ったのだ、という、“別の種類の”事実も含んでいるのです。





具体的に、
『だれが』真の人間で
『だれが』ただの肉なのか?
という質問には一切答えない。

というよりも、
わたし自身も正解を知らない。




とはいえ、
棲み分けのプロセスとしての、
大量死と人口激減は避けられないでしょうよ。





人口はいつまで減り続けるのか?




答えは、
『人口についての統計をとるのをやめるまで』



分かりやすい意味に翻訳するなら、
『人々のあたまのなかから、人口、という概念が消えるまで』
ということです。




そんなわけで、
2019年秋に感じ取った“未来”は、
2020年以降、
だいたいぜんぶ実現してしまったので。




わたしとしては
自分自身の感じ取っている“未来像”に全賭けして全託するような生き方しか、もはやできないわけですよ。





そのうえで、
あらためて2025年について
『わたし自身が感じ取っていること』を
説明してみるとですね、、、、




2019年→2020年のときは、
『未来が急カーブしている』
くらいの感じだったのに、





2024年の現在から眺める
2025年は、はっきりと
『道が途切れている』。





つまり、
いまわたしが生きている
『この世界』は
来年で終わるのです。





といっても、
全人類が共通して
『2025年にカタストロフを迎える』
のかどうかは、
わたしは知らない。
単に、
わたし個人が死ぬだけかもしれない。





とはいえ、
わたし自身にとっては
明白な事実として、
『この人生は2025年で終わる』
ので。





すると、
いまこの時点でさえも、
『人生は消化試合』なんですよね??




なんつーか、
社会的地位を得ようとする意味が無いし、
お金を得ようとする意味も無い。





まえに、
東京都北区赤羽西の家の家賃を
盛大に滞納して
追い出されてるんだけど。



わたしとしては、
『居住場所を失い』
『ホームレスになるリスクを冒し』
なおかつ
『不動産ブラックになった』
のだから、
それだけでもじゅうぶんな“代償を支払った”つもりでいるのだが。




しかし法律上は
当時の家賃の支払い義務は今でもあり、
不動産屋から債権を買い取った金融業者が、いまでも連絡してくる。




でね、
あたし自身は
1円も払う気ないからね💥💥💥




だってさ、
来年には『世界は終わる』のに、
世界、のなかの、日本、のなかの、不動産業者と金融業者が勝手に主張しているだけの馬鹿げたルールに、
たかたが法律が同意してるからって、
いまさら話を合わせてあげる意味ねーじゃんか!




同じく、
かつて馬鹿みたいに大金を稼いでいた時期の住民税を、わたしは盛大に滞納していて、いまも東京都北区がしつこく請求してくるのだが。
こちらは、法的強制力を持っているため、完全に無視するのは危険なのだが、それでもヤツらが差し押さえできるのは、せいぜい
『いま働いている会社の、お給料』
くらいのもので。
もともと異常に定着率の低い警備業界だもの、○○社からのお給料を差し押さえられたら××社に移籍すればそれで済む、という世界です。
したがって、
まともに対応する価値はないし、
完済することにもまったく意味は無い。








なんでこんな話をしてるのかって?






いやぁね、
『世界がまもなく終わることが決まっているなら』
『世界が存続する前提での約束事にはまったく意味が無い』
という事実を、
いまわたしはまさに目の前で体験させられていて、それがちょっと面白いからですよ💕💕💕
✨ヽ(´▽`)/✨ヽ( ´▽`)/✨





この話をもぅちょっと続けると、
あたしはお買い物にはまったく興味が無いので、
クレジットカードのお買い物枠もキャッシング枠も、まっさらな形で全額残っていまして。





え?
どぅせ世界が終わるなら、
『このキャッシング枠は』
『預金残高と変わらなくない??』
ってふと気づいちゃったんですよ!




といっても、
お買い物そのものがキライな性質には
代わりはないので、
いまさら急に浪費活動に精を出すつもりは無いのですが。




そうじゃなくて。




もしも、もしも、もしも、もしも、
『どうしてもお金が必要』な状況が発生した場合や、
『お金さえあれば実行可能なプラン』が思い浮かんでしまった場合には、、、、




『あたしのお金はそこにある💥💥💥』
ってことですね。




(※この件については後日、まとまった形の記事にします)
(※今年の夏は、お金を使って“体験を買う”つもりです💖💖💖)






♡♡





♡♡





そんなわけで。




2025年には
わたしの人生は終わってしまうから、
わたしには
『未来はない』。




いまのわたしの社会生活は、
来年、、、、は途中まではあるとしても、
遅くとも再来年(2026年)には、
跡形もなく消失している。






となると、
『よりよい生活を手に入れる』とか、
そんな前提で未来を志向しても
完全に無意味。




なので、
不動産ブラックをいまさら気にしても意味ないし、
生涯二度と不動産の賃貸契約を結ぶことはないし、
正しく納税する正しい市民になる価値はまるでないし、
預金残高を増やしても意味が無いばかりか、
クレジットカードで買い物をしてはならない、とかの“制約”を守る意味も無い。




社会のルールそのものが
無意味で無価値だと
わたしは本気で信じていて、
だから、社会生活そのものにも、
なんの価値も感じてこなかった。



そうして、
2025年のカタストロフを目前に、

『どれほど社会を嫌っていても』
『まかりなりにも最低限のルールは守らないと人生そのものが破綻する』

という“制約条件”からも、
いま、
わたしは、
解放されようとしている──────。






純粋に、
これは嬉しいですね✨✨✨





わたしはオカルティストであると同時に、現実家でもあるので。
『万が一予測が外れて』
いまの社会がこれからも存続した場合に備えて、おかしな形で羽目を外すことはしないつもりなのですが。




つまり、
クレジットカードのキャッシング枠ぜんぶ使っちゃえ!!!ったって、
必要もないのに、限度額いっぱいいっちゃえ!!!とか、そういうことはしないつもりなのですが。




それでも今年の夏は、
いままで自分で自分に禁じていた
“クレジットカードのキャッシング枠”をとつぜん盛大に開放して、
“借金によって”旅に出るつもりです。




将棋というゲームにおいて、
飛車や角行は
序盤においては
大事な資産だけれど、
終盤においては、
勝利のための消耗品。
それと同じ感覚ですね。




わたしは、
こんな底辺層の人間としては破格なくらいに、かなり厳密に、
収支バランスを気にして
生きてきましたけど。




(※支払い能力が無い場合には、家賃やら税金やらを支払い対象から外すことで、収支バランスを守ってきました。実際にそうしてみると、支払いを強要されることは、じつは無いことがわかります)




人生そのものが
まもなく終わると分かっているなら、
いまさら収支バランスを守る意味も無くなってしまって。

そうなると、
『お金はただの消耗品』
ってことになりますよね。





『来年には人生が終わる』ことが
すでに分かっているから、
2024年のいまの時点でも、
それを前提にした行動しかできないし、
それを前提にした行動をとる、
というわけです。




それが外れた場合の弥縫策も
ほんのちょっとだけ、
考慮に入れながら─────。






♡♡






♡♡




さて。
2025年にわたしは死ぬ。




では、その先は??




え?
死んじゃったなら、
『その先』なんて、
無いんじゃないの??!?

















ほんとうにおもしろいことに、
2027年には
あたしは子どもを産むのです。








あれ?
死んでしまってて
子どもって産めるの??







だから、これが
アセンション、
ということなのでしょう。





2025年に死ぬのなら、
2027年にはこの世で活動することは不可能になっているはずで。
ならば、
どうやって子どもを産むのか?
ということは度々問い合わせたけれど、
(※未来へと)





どぅにも、
2027年にわたしが子どもを産むためにはですね、
そのまえに、
2025年には確実に死んでおくのが正しいルートであり、これが順路。
ということのようです。




ただ、
2025年に『死ぬ』、
ということに対して
この身体はとくに反応しないのに、
2027年に『子どもを産む』
ということに対しては
いまのあたしのこの身体が
はっきりと反応を示すので。





そこから推測すると、
物質界からエーテル界への移転、
なんじゃないかなぁ??





死ぬ、というのも、
物質世界にいるほかの人々から見て
わたし(ミミィ)はいなくなった、
だからきっと死んだんだ、
きっとそうだと思う。
というだけで。

ほんとうは、
わたし自身は嬉々として、
エーテル界への“お引っ越し”を
実行しているかもしれない。




物質界から
『アストラル界へ移転した』場合には、
アストラル体というのは、
肉体を操縦することはできても、
肉体を生成する能力は無いので。
いきなり、
『物質界からアストラル界へ移転した』
という場合には、
その人の肉体(=遺体)はそこに残る。




それに対して、
『エーテル体への移転』の場合には、
エーテル体とは、
肉体を生成しているエネルギーなので。

エーテル体それ自身が
『肉体を生成して』
『肉体としてこの世に存在する』
などという面倒なプロセスを辿らなくても、
『エーテルエネルギーのままで』
生きた生命体として存在できると
気づいてしまったら。

もともとエーテル体こそが
肉体の“本体”なので。
エーテル体のままで存在すると決めて、
肉体を生成するのをやめれば
肉体は消えます。




いまのこの瞬間、
物質世界こそ実在する唯一の世界であると人々が信じ込んでいるいまこの瞬間においてさえも、
ほんとうは、
『一瞬一瞬、エーテル体=エーテルエネルギーが肉体をその都度生成している』
というのが真実であり、、、、

エーテル体それ自身がそのことにめざめることができれば、肉体の生成の仕方を変えることもできるし、肉体など生成しなくてもべつに問題はない、という事実にもすぐに気がつきます。

ひとたびそうなってしまえば、
わざわざ物質的肉体を形成して
『物質的人間として生きる』などという
面倒な&無駄なことを
だれがするでしょうか??




『エーテル体がめざめた』その瞬間、
わたし(ミミィ)はこの世界(物質界)から
去ることになります。




みんなで一斉にめざめた場合は、
みんなで一斉に新しい世界
(=エーテル界)
に移転して、
みんなで仲良く暮らすことになり、

あたしひとりがめざめた場合は、
あたしひとりが
この世界(=物質世界)から消えた
感じになります。





時間の経過とともに、
詳細が明らかになってゆくはずなので、
そしたらまた、報告しますね💕




🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤
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お金あげるの大好きー✨✨✨ お金もらうのも大好き💕💕💕💕