戻ってきたガラス瓶
努力が全能だと信じていた。
人生におけるいちばん大事なことは努力、
努力すればできないことは何も無いと、本気で信じていた。一途な時代は青春、怖いもの知らず真っ盛り。
小学校の時、1人の男の子が好きだった。
勉強も運動も、決して一番ではなかったけど、全力投球。誰より真っ先に飛び込んで、思いっきり転んで、立ち上がって、懲りずに飛び込んで、また転ぶ。うまくいくと飛び上がって喜び、失敗すると悔しがる。間違うと真っ赤になって謝る、すぐ謝る。
見ていてスカッとする子だった。
小学校の同級生、坂井くん。
私自身、勝ち負けの計算をすることなく(できなかった)、まずやってみるタイプだったからか? 昔から「夕陽に向かって走る」タイプに弱かった、私。
好きだった気持ちを打ち明けることなく(小学生ゆえ)中学から別の学校に進んだのに、忘れられなくて、一念発起してバレンタインデーにケーキを焼いて家まで届けたことがあった。
当時イケてたソニープラザでみつけた「ハートの形をしたケーキ型」を抱きしめて帰り、1日がかりで焼いたたっぷりチョコレートの入ったケーキを坂井くんのウチまで持って行った。脚はず〜っと宙に浮いていたと思う。
本人は不在だったから、家の人に渡して逃げるように帰った。(ああ青春)
、、、
坂井くんから、何の音沙汰も無かった。
(ケーキ型はあの時一度使われたきりだ。)
それでもまだ諦めていなかった私。
大学に入った年だったか、今度は自分から電話して誘った。(大胆にも)
お正月に坂井くんの自宅に押しかけ、炬燵デート。18歳としては、一世一代の突撃タックル。(汗)(行ってきます!と家を出た私の後ろ姿に母と妹の声援がかかったくらい、ケーキ事件以来、家族の同情票が集まっていた。)
当日は緊張のあまり、炬燵で何を話したか記憶に無い。(やたらにミカンを食べた以外。)
そして、
、、、
何も起こらなかった。
その日炬燵の中でも、その後炬燵の外でも何も起こらず、坂井くんからは何の音沙汰も無く、、
さすがの私も諦めた。
10歳から8年に及ぶ、坂井くん攻略作戦はこれにて幕を閉じ、私は撤退するしか無かった。思い残すことは無い(実際何も無かった)、力を尽くした末の清く潔い撤退だった。以来、坂井くんは私の記憶の中であの「夕陽に向かって走る」少年の姿のまま生き続けた。
努力だけでは開かない扉もある、という教訓はあの時が初めてだったかもしれない。
特に「相手」がいる場合は。
厳しい現実だったけど、そう自分に言い聞かせて、前へ進むこと40+年。
小学校の同窓会で坂井くんに再会する機会があった。
変わってないね、いやぁ変わり果ててるよ、、と
懐かしい昔話でひとしきり盛り上がった別れ際、帰らないで、どうしても伝えたいことがあると言われ、2人の時間を持った。
え、何?どうしたの?
2度目の2人の時間。
記憶の中では18歳。目の前の2人は60歳。
想像して欲しい。想像できるかしら。
私が想像できなかったことを。
「本当は好きだったんだ」
半世紀かかってやっと届いた手紙を開けた、
地球を一周してたどり着いたガラス瓶の中のメッセージを読んだ、その時の私の気持ちを。
いま手渡された18歳の坂井くんの「好きだった」気持ち、
目の前にいる60歳の坂井くん、
2つをかわるがわる見ながら
timing is everything
あれほど思い知った瞬間は無かった。
気持ちには賞味期限があるのだなって思いつつ、
目の前のガラス瓶を「戻ってくることあるんだ!」って、見つめてた。