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割り勘人生
わかるのが遅過ぎることがある。
よくある。
たくさんあり過ぎるが、その内のひとつ。
若い頃、男性に奢ってもらうというシチュエーションが苦手だった。そういう場面に出くわすと、右手と右足が同時に出てしまうのだ。
腑に落ちなかった。
どうしてそうなるのか、ちゃんと考えたことはなかったが、そんな時、私の胸に点滅していたのは「私は自立した女」ランプだったように思う。
若いというのは単純なものだ。
ひとつの視点しか持ち合わせがない。
正義感が強過ぎて、人間の、相手の、この場合、男の生理を見てあげていなかった(のではないか)。ずいぶん後になってから、私の目にも答のようなものが見えるようになってきた。
なんだ、そうか。
私を女として感知していたその時の男性は、私をcourtしたかったのだ。守りたい。かばいたい。面倒をみたい。
そういう衝動に理屈は要らない。
染色体の気持に目くじら立てても始まらないのである。自立した女、ウーマンリブ(古いね)という考え方とは別次元の「男の染色体」のお話だったのだ。
*注:私には、せいぜい食事レベルの経験しかありません。ダイヤモンドや高級外車などは別世界の方々にお任せいたします。
こんなことに今頃気がついて、
なんだかずいぶん損してきたような気がする。
断っておくが、、
割り勘しなくって男に払ってもらってたら、
どれだけ¥得していたかというケチな話ではない。
私のような勝気な女を、それでもcourtしたいと思ってくれた奇特な男性を正しく察知して、正しいタイミングで、正しく甘えるという楽しみ方もあったのではないかと。
ふと、想いに耽ったりする。
そうしていたら、私、今頃、どうなっていたか、、
そう
人生って楽しみ方のコツがわかり始めた頃には、もう尻尾しか見えなくなっている。
今時はもう「割り勘」させてもらえる機会すら希少になってきた。