![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162933160/rectangle_large_type_2_27f75c55f75c01fae0025048cc1d6e76.png?width=1200)
主人が、という人
「主人に聞いてみませんと」
「主人が留守なので」
よそ行きの顔をした母がその言葉を使う度に
ああ、妻たるもの、主婦たるもの、これが正しい言葉遣いなのだと、幼い頃の私は思っていた。
でも見逃せなかった。
「主人は」という時の母の顔がいつも1/100秒ほど輝いていたことを。目をこらしても気がつかない程の、でも見逃せないシグナルが点滅していたことを。
それは
ここには「門」が付いていますよ、
土足で上がって来ないでくださいよ、
私というちゃんとした人は、
ちゃんとした「門」の中に守られている妻なのですよ、
そこいらの「馬の骨」(どんなものか見たことないけれど)ではないのですよ、というシグナルだった。
妻というものはそういうもの。
「家」のヒエラルキーとはそういうもの。
優越感、というほどの厚かましさは無いが、
帰属意識、という安心感。
いつだったか、主人という言葉をよく使う知り合いの女性(70代)に尋ねてみたことがある。思い切って。
「主人という言葉を使う時、どんな気持ち?」
私の不躾な質問に面食らいつつ、考えつつ、彼女は答えてくれた。
どこか「誇らしい」かもしれない、と。
彼女にとって、それは無意識の産物。身体に染み付いた習慣なのだとしても、私にとっては、それは消化することのできない異物感として今でも残ったままだ。
夫が主人なら、あなたは夫の犬なんですか?
なんて聞こうものなら激怒されるか、100%否定されるのは百も承知だし、そういう意味で夫が自分の「主人」だなんて思ってこの言葉を使っている人はいないのかもしれない。
既婚女性が「主人が」というのは、男性が取引先に名刺を配るのと大差ない行為なんだ、と。
私はどこかの「馬の骨」では無いと、
行間に宣言しているだけなんだ、と。
そう私は私に言い聞かせているつもりなのだけど、
つい先日34歳の女性(共働き正社員)の口から「主人が」という言葉が出た時は、二度見してしまった。
おお、働いている女性でもその言葉、使うんだ。