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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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記事一覧

【第18日】母の音色、新たな調べ

認知症の治療の鍵は「新しいことを覚える」ことにあるのではないか——そんな考えが私の心に芽生えていた。母は昔の思い出を生き生きと語るのに、最近の出来事はすぐに忘れてしまう。そのたびに、口癖のように「面倒くさい」と呟く母の姿があった。 ある日、私は母に漢字検定の勉強を一緒にしようと提案した。新しい漢字を覚えることで、脳を刺激できるかもしれないと思ったのだ。しかし、母の興味は湧かず、長続きしなかった。私自身も興味のないことを覚えるのは苦手だから、その気持ちはよく分かる。 では、

【第17日】3分間の深い診察

素敵な主治医との出会い 双極性障害を抱える私は、これまで数多くの医師の診察を受けてきた。20代で発症し、東大病院や専門の精神科病院にも通った。情熱的な加藤忠史先生や、現在の東大病院精神科長である笠井先生のもとを訪れたこともある。しかし、大学病院の精神科は予約をしていても待ち時間が長く、診察は平日に限られ、担当医も曜日ごとに変わる。薬を受け取るための待ち時間も含めると、通院を続けるのは容易ではなかった。 そんな中、たどり着いたのが現在の主治医であるS先生だ。精神科の診察は一

【第16日】同じ朝、異なる喜び

母との朝食と思い出のカフェ 子供の頃、私は母にひどい言葉を投げかけた記憶がある。「毎朝同じごはんで飽きちゃうよ」と不満をぶつけたのだ。母は悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わずに次の日も同じ朝食を用意してくれた。その頃の私は、自分の未熟さを母に押し付けていたのだと、今になって気づく。 大人になった今、私は近所のチェーン店のカフェで朝食をとることが多い。そこには三種類のモーニングセットがあり、すでにすべてを試した。やがて、同じメニューに飽きてしまい、そのカフェから足が遠のく

【第15日】言葉のバランスを求めて

今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。 幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。 しかし、一

【第14日】母に映る私、私に映る母

母と私の鏡 夕暮れの柔らかな光がリビングを包み、母はお気に入りの椅子に腰掛けていた。私はキッチンからお茶を淹れて、彼女の隣に座った。 「お母さん、最近どう?」と尋ねると、母は自信満々に微笑んだ。 「とても元気よ。私が認知症になるなんて、ありえないわ」と彼女は言う。その言葉に、胸の奥がざわついた。医師から中度の認知症と診断されているのに、母は頑なにそれを否定する。その確信はどこから来るのだろう。 数日後、母は「歯医者には絶対に行かない」と言い張った。理由を尋ねても、「必

【第13日】母と育む希望

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【第12日】時間の層を旅して

ミルフィーユのような重なり合う人生 もし人生をもう一度やり直せるとしたら、多くの人はその機会を真剣に受け止め、全力で生きようとするだろう。では、今のこの人生こそが、望んで得たやり直しの人生だとしたら、私たちはどれほど真摯に日々を過ごすだろうか。 私は双極性障害を抱えている。ただ、ただ、この与えられた人生を精一杯生きているに過ぎない。だからこそ、内に膨大なエネルギーが湧き上がっているのを感じるのだ。 予知夢を見ることが多い。デジャヴを頻繁に感じる。そう言うと、怪しまれるだ

【第11日】エネルギーの海を泳ぐ

エネルギーの海を泳ぐ 私は双極性障害を抱えており、そのおかげで体内には莫大なエネルギーが渦巻いている。このエネルギーをどう活用するかは、私の人生において極めて重要な課題だ。できることなら、その力をポジティブな方向へ導きたい。だが、もし怒りに任せて使ってしまえば、周囲を傷つけ、社会的な信頼を失ってしまうだろう。 しかし、ふと考える。たとえエネルギーをポジティブに使ったとしても、それは本当に良いことなのだろうか。どんなに膨大なエネルギーでも、無限ではない。使い続ければ、いずれ

【第10日】笑顔を繋ぐ山頂で

母との再びの山登り 母との大切な思い出がある。あの山を一緒に登った日のことだ。その山は険しくはなく、低い山で、最初の八割はケーブルカーで登ることができた。ケーブルカーを降りた後、残りの二割を一時間ほど歩けば山頂にたどり着く。道中には、夏にはビアガーデンやレストラン、茶屋など、魅力的な休憩所がたくさんあった。 当時の母は信じられないほど元気で、私よりも足取りが軽かった。私が疲れて茶屋で休んでいると、母は軽やかに先へと進んでいく。しばらくして、山頂から戻ってきた母が、団子を食

【第9日】心の牢獄を超えて

牢獄の中の光 6歳の頃、私は家を全焼させる火事を起こしてしまった。それ以来、自分は罪人なのではないかという思いが心に巣食い、いつか刑務所に入れられるのではないかとびくびくしながら生きてきた。また、震災のときに感じた孤独感が、今でも心の奥底に残っている。 時折、冤罪で刑務所に送られたり、災害で一人ぼっちになる自分を想像することがある。もしそんな状況になったとしても、『容疑者Xの献身』の主人公のように、牢屋の天井を見上げながら数学の美しさに心を馳せて生きていきたい。また、記憶

【第8日】消えゆく光の瞬間

昼下がりのオフィスで仕事に追われていると、携帯電話が静かに振動した。画面を見ると、母からの着信だ。普段、昼間は会議や業務で電話に出られないことが多いため、母には夜9時以降に連絡してほしいと伝えてある。だから、この時間帯の電話は何か緊急の用事があるに違いない。 急いで電話に出ると、母の少し沈んだ声が聞こえた。「スマホの右上の数字が19から18に減っていくの。どうしたらいいのかしら」と心配そうに言う。おそらくバッテリー残量のことだろう。私は充電ケーブルが正しく差し込まれていない

【第7日】夢に響く母の声

ある夜、不思議な夢を見た。母が遠くから助けを求めている。涙を流しながら、「自分がどこにいるのかわからない」と訴えるその姿に、胸が締め付けられた。目が覚めたとき、もしあれが自分だったらと考えた。 私は双極性障害を抱え、妄想の中をさまよい、気づけば思いもよらない場所にいることがある。夢の中の母は、未来の自分自身のように感じられた。母は、まさに私の鏡なのだ。 思い返せば、6歳のときに起こした火事や、酒に溺れる亡き父への苦手意識から、家族から逃げ出したかった私は、大学入学と同時に

【第6日】小さな約束が紡ぐ希望の光

秋の夕暮れ、窓から差し込む柔らかな光が部屋を淡く染めている。私は机に向かいながら、ペンを握る手を止め、心の中で静かに問いかけた。 「双極性障害の私と、認知症の母が一緒に暮らすことはできるのだろうか?」 この問いは何度も頭を巡り、不安と希望が交錯する。母との生活は困難を伴うだろう。しかし、だからといって諦めたくはない。私たちが共に生きるために、どんな約束事が必要なのかを考え始めた。 記憶が曖昧になる私たちだからこそ、約束はシンプルでなければならない。私は最終的に三つの約束

【第5日】忘却の中で輝く一瞬を

秋の夕暮れ、静かな公園のベンチに腰を下ろし、風に舞う落ち葉を見つめていた。遠くから子供たちの笑い声が微かに聞こえる。その穏やかな音色に、私はふと母の面影を思い出した。 母は認知症を患っている。彼女の瞳には、今この世界がどのように映っているのだろうか。私自身も双極性障害を抱えており、時折、自分の現実が揺らいでいくのを感じる。病が深まると、現実と幻想の境界が曖昧になり、大切な人や物の存在さえも霞んでしまう。 「いつか自分が自分でなくなる日が来るのだろうか」と、不安が胸をよぎる