記憶の織り手(Memory Weaver)

双極性障害の私と、認知症の母。病を通じて互いを映し合いながら共に生きています。 自分を忘れるその日まで、母との日記を毎日綴ります。 Until the day I forget myself, I write a daily diary with her.

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双極性障害の私と、認知症の母。病を通じて互いを映し合いながら共に生きています。 自分を忘れるその日まで、母との日記を毎日綴ります。 Until the day I forget myself, I write a daily diary with her.

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私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違いに過ぎず、実は私と家族は一つなのだと気づいた。 私は決意した。母と共に、この病と向き合って生きていくことを。自分が自分であることを忘れるその日まで、母との日記を毎日綴っていこう。記憶の欠片を紡ぎ、心の絆を深めるために。

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  • 消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

    私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違いに過ぎず、実は私と家族は一つなのだと気づいた。 私は決意した。母と共に、この病と向き合って生きていくことを。自分が自分であることを忘れるその日まで、母との日記を毎日綴っていこう。記憶の欠片を紡ぎ、心の絆を深めるために。

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    私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違いに過ぎず、実は私と家族は一つなのだと気づいた。 私は決意した。母と共に、この病と向き合って生きていくことを。自分が自分であることを忘れるその日まで、母との日記を毎日綴っていこう。記憶の欠片を紡ぎ、心の絆を深めるために。

  • Along with Fading Memories

    I have bipolar disorder, and my mother has dementia. As our illnesses progress, we lose sight of reality and ourselves, like reflections in a mirror. Realizing that my family and I are one, I decided to live alongside my mother. Until the day I forget myself, I will write a daily diary with her.

最近の記事

【第18日】母の音色、新たな調べ

認知症の治療の鍵は「新しいことを覚える」ことにあるのではないか——そんな考えが私の心に芽生えていた。母は昔の思い出を生き生きと語るのに、最近の出来事はすぐに忘れてしまう。そのたびに、口癖のように「面倒くさい」と呟く母の姿があった。 ある日、私は母に漢字検定の勉強を一緒にしようと提案した。新しい漢字を覚えることで、脳を刺激できるかもしれないと思ったのだ。しかし、母の興味は湧かず、長続きしなかった。私自身も興味のないことを覚えるのは苦手だから、その気持ちはよく分かる。 では、

    • 【第17日】3分間の深い診察

      素敵な主治医との出会い 双極性障害を抱える私は、これまで数多くの医師の診察を受けてきた。20代で発症し、東大病院や専門の精神科病院にも通った。情熱的な加藤忠史先生や、現在の東大病院精神科長である笠井先生のもとを訪れたこともある。しかし、大学病院の精神科は予約をしていても待ち時間が長く、診察は平日に限られ、担当医も曜日ごとに変わる。薬を受け取るための待ち時間も含めると、通院を続けるのは容易ではなかった。 そんな中、たどり着いたのが現在の主治医であるS先生だ。精神科の診察は一

      • 【第16日】同じ朝、異なる喜び

        母との朝食と思い出のカフェ 子供の頃、私は母にひどい言葉を投げかけた記憶がある。「毎朝同じごはんで飽きちゃうよ」と不満をぶつけたのだ。母は悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わずに次の日も同じ朝食を用意してくれた。その頃の私は、自分の未熟さを母に押し付けていたのだと、今になって気づく。 大人になった今、私は近所のチェーン店のカフェで朝食をとることが多い。そこには三種類のモーニングセットがあり、すでにすべてを試した。やがて、同じメニューに飽きてしまい、そのカフェから足が遠のく

        • 【第15日】言葉のバランスを求めて

          今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。 幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。 しかし、一

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          14本

        記事

          Day14 - Seeing Myself in Mother, Seeing Mother in Me

          My Mother and Me: A Reflection The soft glow of evening enveloped the living room as Mother sat in her favorite chair. I brought tea from the kitchen and settled beside her. "How have you been lately, Mom?" I asked. She smiled confidently

          Day14 - Seeing Myself in Mother, Seeing Mother in Me

          【第14日】母に映る私、私に映る母

          母と私の鏡 夕暮れの柔らかな光がリビングを包み、母はお気に入りの椅子に腰掛けていた。私はキッチンからお茶を淹れて、彼女の隣に座った。 「お母さん、最近どう?」と尋ねると、母は自信満々に微笑んだ。 「とても元気よ。私が認知症になるなんて、ありえないわ」と彼女は言う。その言葉に、胸の奥がざわついた。医師から中度の認知症と診断されているのに、母は頑なにそれを否定する。その確信はどこから来るのだろう。 数日後、母は「歯医者には絶対に行かない」と言い張った。理由を尋ねても、「必

          【第14日】母に映る私、私に映る母

          Day13 - Nurturing Hope with Mother

          Nurturing Hope Together with Mother My mother has been diagnosed by the doctor with moderate dementia. Yet, when the topic arises in our conversations, she confidently declares, "I will never get dementia." I find myself wondering where su

          Day13 - Nurturing Hope with Mother

          【第13日】母と育む希望

          この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

          【第13日】母と育む希望

          【第12日】時間の層を旅して

          ミルフィーユのような重なり合う人生 もし人生をもう一度やり直せるとしたら、多くの人はその機会を真剣に受け止め、全力で生きようとするだろう。では、今のこの人生こそが、望んで得たやり直しの人生だとしたら、私たちはどれほど真摯に日々を過ごすだろうか。 私は双極性障害を抱えている。ただ、ただ、この与えられた人生を精一杯生きているに過ぎない。だからこそ、内に膨大なエネルギーが湧き上がっているのを感じるのだ。 予知夢を見ることが多い。デジャヴを頻繁に感じる。そう言うと、怪しまれるだ

          【第12日】時間の層を旅して

          Day12 - Journey Through Layers of Time

          A Life Layered Like Mille-Feuille If one could start life over again, many would seize that chance earnestly and strive to live fully. So, if our current life is that desired second chance, how sincerely should we be living each day? I ha

          Day12 - Journey Through Layers of Time

          Day11 - Swimming in the Sea of Energy

          Swimming in the Sea of Energy Living with bipolar disorder, an enormous energy swirls within me. How I harness this energy is a crucial matter in my life. Ideally, I want to channel this power positively. Yet, if I let it be consumed by an

          Day11 - Swimming in the Sea of Energy

          【第11日】エネルギーの海を泳ぐ

          エネルギーの海を泳ぐ 私は双極性障害を抱えており、そのおかげで体内には莫大なエネルギーが渦巻いている。このエネルギーをどう活用するかは、私の人生において極めて重要な課題だ。できることなら、その力をポジティブな方向へ導きたい。だが、もし怒りに任せて使ってしまえば、周囲を傷つけ、社会的な信頼を失ってしまうだろう。 しかし、ふと考える。たとえエネルギーをポジティブに使ったとしても、それは本当に良いことなのだろうか。どんなに膨大なエネルギーでも、無限ではない。使い続ければ、いずれ

          【第11日】エネルギーの海を泳ぐ

          Day10 - At the Mountain Peak Connecting Smiles

          Climbing the Mountain with Mother Again There's a cherished memory I have with my mother—when we climbed that mountain together. It wasn't steep, just a low mountain where we could ascend about eighty percent of the way by cable car. After

          Day10 - At the Mountain Peak Connecting Smiles

          【第10日】笑顔を繋ぐ山頂で

          母との再びの山登り 母との大切な思い出がある。あの山を一緒に登った日のことだ。その山は険しくはなく、低い山で、最初の八割はケーブルカーで登ることができた。ケーブルカーを降りた後、残りの二割を一時間ほど歩けば山頂にたどり着く。道中には、夏にはビアガーデンやレストラン、茶屋など、魅力的な休憩所がたくさんあった。 当時の母は信じられないほど元気で、私よりも足取りが軽かった。私が疲れて茶屋で休んでいると、母は軽やかに先へと進んでいく。しばらくして、山頂から戻ってきた母が、団子を食

          【第10日】笑顔を繋ぐ山頂で

          Day9- Beyond the Prison of the Mind

          Light Within the Prison When I was six years old, I caused a fire that burned our house to the ground. Since then, the thought that I might be a criminal has haunted me, and I've lived in fear that I might one day be thrown into prison. Th

          Day9- Beyond the Prison of the Mind

          【第9日】心の牢獄を超えて

          牢獄の中の光 6歳の頃、私は家を全焼させる火事を起こしてしまった。それ以来、自分は罪人なのではないかという思いが心に巣食い、いつか刑務所に入れられるのではないかとびくびくしながら生きてきた。また、震災のときに感じた孤独感が、今でも心の奥底に残っている。 時折、冤罪で刑務所に送られたり、災害で一人ぼっちになる自分を想像することがある。もしそんな状況になったとしても、『容疑者Xの献身』の主人公のように、牢屋の天井を見上げながら数学の美しさに心を馳せて生きていきたい。また、記憶

          【第9日】心の牢獄を超えて