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運は『運ばれてくる』ものか、『運んできた』ものか〜自分にコントロールできるか否か〜
今回は上記のテーマで書いていきたいと思います。
運とは
運とは、
『めぐりあわせ』『さだめ』
(Oxford Languageより)
と、ある辞書には書いてあります。
いわゆる『運が良い』となれば、
ラッキーとか、ツイてるとか、ツキがあるなど、
自分のコントロールがきかないところで、
思わぬいいことが起こることと解釈されているように思います。
具体的なシチュエーションで言えば、
それまで受験勉強を精一杯頑張ってきた人が、
あとは『運に任せる』や『運を天に任せる』
と言いますよね。
つまり、『運』を別の言葉に言い換えるとしたら、
『結果』だと思っています。
そう考えると、『運』が自分のコントロールがきかないところにあるのと同じように、『結果』も、自分では決められないところにあるということになります。
結果は何によってもたらされるのか
『結果』は、仮説に基づき実践したのちに、
何らかの形で得られるものです。
そう考えると、たしかに仮説を立てたり、実践することは自分でできますが、結果は出るか出ないかはわかりません。
いくら頑張っても、みんなも頑張っていたらもしかしたらいい結果にならないかもしれない。
つまり結果は相対的なものです。
実践なき結果(運)を何というか
と言うことは、『運』も相対的なもので、運がいい人もいれば悪い人もいます。
これをすれば運が良くなると言う、絶対的なものではないと考えています。なのでこれをすれば運が良くなるとかというのは、少し怪しいな〜と思ってしまいます。
先述のように、運とは結果であり、結果を出すには実践までのプロセスが必要になります。
つまり自分自身のアクションが必要です。
運が良い『結果が良い』のは、直接的・間接的な自分自身のアクションの成果であり、自分自身がないにも関わらず得られた結果は『まぐれ』と表現するのではないかと思っています。
今回は『運は『運ばれてくる』ものか、『運んできた』ものか〜自分にコントロールできるか否か〜』について書かせていただきました😊
それでは今回もご覧いただきありがとうございました✨
では、またあした👋✨