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新谷勝老
2025年1月29日 17:00
この間、用があって、ぼくが通っていた小学校の近くまで行った。 当時木造だった校舎は、鉄筋校舎に変わっていた。位置も若干移動していて、木造校舎の建っていた場所が運動場になっており、運動場のあった場所に鉄筋校舎が建っていた。位置的にまったく変わってないのはプールだけだった。かつては田んぼだらけだった周りの景色も、今は住宅地に変貌していた。 というわけで、母校ではあるが、母校とは言い難い雰囲気
2025年1月26日 06:30
西から風が吹いてきたら朝一番の汽車に乗って懐かしいふるさとに帰るんだ向かい風をたどってね雨が降ったってかまわないよ傘の一本もいらないよだってぼくのふるさとはいつだって晴れているんだから 小さな思い出をたどっても ぼくは懐かしいとは思わないよ だって東京の風はいつだって 雨を誘うんだから何も告げずに行くよ恋人よ、ぼくのことは忘れとくれ会おうとも思わないでおくれ本当
2025年1月21日 17:00
1, 小5の3学期だった。 5時間目の授業中に、ぼくは隣の席のヤツとおしゃべりしていて、「二人とも廊下に立っとけ!」となったことがある。 3学期の廊下は寒い。さらに当時の校舎は木造だったので、窓から隙間風が入ってきて、その寒さに追い打ちをかける。その寒さを忘れるために、ぼくは一緒に立っているヤツにしゃべりかけた。「おれ、さっきから気になっとったんやけど、あの雲の横に何かないか?」「どの雲
2025年1月14日 17:00
ずいぶん前の話だが、高校の同窓会に参加した時に、担任の先生が登場したことがある。頑固な先生だったが、そんな先生ほど生徒の心に残っているのだろう、割れんばかりの拍手をもらっていた。 その担任とは色々ないきさつがあり、ぼくは無視を決め込んでいたのだが、友人が何度も、「先生がお前に会いたがっとるぞ」と誘いに来る。それを聞いてぼくは、「会いたがっとるわけないやないか。それに何十年経ったと思っとる
2025年1月13日 06:30
あの日ぼくはギターを弾いて、歌をガンガンうたっていた。絶叫していた。怒鳴っていた。おかげで酔いがいっぺんに回り、歌はだんだん無茶苦茶になり、終いには過呼吸になっていた。周りは白けたムードになって誰も聴いてくれる人はいない。とにかくあの頃のぼくはどこへ行っても変人扱いされて、どんなことを言ってもやっても誰も相手にしてくれない。声をかけても振り向かれない。だから彼女も出来や
2025年1月12日 17:00
コンクリートの床の冷たさが上履きの底からしみてくる。その日は朝から気温が上がらない寒い寒い一日だった。昼休み、ぼくは予約していたその日発売のボブ・ディランのアルバム『血の轍』が入荷しているかどうかを確かめるためレコード店に電話をかけていた。「少々お待ちください」からどのくらい時間が経ったのかえらく待たされているような気がする。窓の外ではとうとう雪が舞いだした。「・・・・申
2025年1月11日 17:00
中学の頃に、『ハリアタマテツオ』とあだ名された理科の先生がいた。そのあだ名のとおりいかにも堅そうな髪質で、寝癖でもついているのか髪の毛の一部がいつも針金のごとく立っていた。 ハリ頭ではあるがハゲ頭ではなく、その半分くらいは白髪で占められていた。そのせいでけっこう老けて見えたのだが、おそらくはその容姿よりも年は若かったはずだ。 ぼくはある時期、そのハリアタマ先生のごとくに髪に癖がついてしま
2025年1月9日 17:00
昨日は夕方から断続的に雪が降っていた。夜が深まるにつれて、吹雪だし、寒さはだんだん増していった。 日記を更新したあとに窓の外を見てみると、すでに前の公園は真っ白になっていた。天気予報で、朝方は冷え込むと言っていたので、朝はもっとひどい状況になっているだろう。 ということで、朝は確実に大雪が積もることが予想された。 そのため、早い段階から、今日のJR通勤を覚悟していた。いつもより1時間早く
2025年1月8日 06:30
三学期は早々と日が暮れる。夕方になれば街は真っ暗でついたりきえたりの街灯とつめたくさみしい風の音が三学期の妖怪を連れてくる。子供たちはすでに家に帰り三学期の妖怪に怯えながら真冬の宿題をこなしている。
2025年1月6日 17:00
かつてある企業の面接官にぼくは「君はこういう仕事向きじゃない。他の仕事を探したほうがいい」と無表情な顔で言われたことがある。「向きや不向きはやってみないとわからないじゃないですか?」とぼくが言うと、無表情な面接官は「追って連絡するので」と言ってサッサとぼくを追返したのだった。不採用だったのは言うまでもない。その後ぼくは別の企業ではあるが不向きだと言われた仕事に就いた。あれ