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新谷雅老
2024年11月22日 17:00
1、 前に、コカコーラのキャッシュバックキャンペーンのことを書いたが、それは昭和45年のことだ。中学の入学後から始まったとぼくは記憶しているのだが、それが正しければ、そのキャンペーンはその年の4月から始まったことになる。 この記事に書いているコカコーラミニボトルのキーホルダーだが、十数年ほど前に、実家で見かけたことがある。実家にあるぼくのコレクション入れの中に入っていたのだ。 その写真をこ
2024年11月18日 17:00
6, 東京に出た目的の一つが、ラジオだった。東京でAM放送を聴くのが昔からの憧れだったのだ。ラジオに専念するために、ぼくは下宿にテレビを持込まなかった。 東京で何を聴いたのかというと、TBSラジオで当時やっていた『マカロニほうれん荘』など一連のラジオ劇画や、文化放送の『セイヤング』だ。 特に『セイヤング』を聴くのは中学からの夢でもあった。『オールナイトニッポン』や『パックインミュージック』
2024年11月8日 17:00
先日、嫁さんと近くのレストランに昼食を食べに行った時、高校の同級生Sにあった。彼は高校以来の友人で、社会に出てからもずっと飲み友だちでいるのだが、コロナ禍があってからは会ってなく、久々の再会となった。彼は仕事でそのレストラン近くに来ていたということだった。しばらく話をして、「また飲み会をやろう」ということで別れた。 彼と別れたあと、ふと思い出したことがある。それは、高校2年の頃の話だ。 他
2024年11月6日 00:33
階段の怪人がジッとこちらを伺っている来る日も来る日も飽きもせずにジッとこちらを伺っているたまに足を踏み外すのかギイッという音がする
2024年5月14日 00:38
2024年11月3日 06:30
中学校の裏手には小高い丘が続いていた。人の入らないその丘は草がぼうぼうと生えていて蛇やムカデが棲んでいた。空は滅多に晴れたことなく丘から下りてくる風が小さな校庭に落ちていた。ぼくらはその風を拾い集め空に向けて蹴り飛ばした。風は力なく飛んでいきゆっくりゆっくり空を舞い再び校庭に落ちてきた。ぼくらはそれを受けとめて力を込めて蹴り返した。胸やのどに痛みを覚えた青臭坊
2024年2月29日 13:24
サクランボの茎を口で結べる人はキスがうまいんだと友人から聞き、喫茶店に行っては、好きでもないクリームソーダを何杯もお代りし必死に練習をしていたことがある。そのせいで舌や顎などを痛めたり色んな苦労をしたのだが、何とか結べるようになった。ただそれでキスがうまくなったのかどうかは判らない。言われたことないしね。ところで口で結ぶ時、舌と同時に歯を使ってもよかったんだろうか。キス
2024年3月14日 17:41
部活を引退したぼくたちを待っていたのは、慣れない夕方ラッシュだった。それまでわりと遅く家に帰っていたので、いつもバスはガラガラだった。短い乗車時間だったけど、だだっ広い空間の中でぼくたちは疲れた体を横たえて寝ていた。それがあまりに心地よかったので、窮屈な夕方ラッシュは地獄に思えた。地獄の思いをして早く家に帰っても受験勉強なんぞするはずもなく、西日の差し込む三畳部屋に引きこも
2024年4月5日 07:52
おそらくあなたはぼくが思っているような女ではないはずです。おそらくぼくはあなたが思っているような男ではないはずです。もしもあなたが実際にぼくの思っているような女だったとしたら―。もしもぼくが実際にあなたの思っているような男だったとしたら―。ごくごく自然に二人は結ばれていたでしょうね。ドラマな出会いだったけど一度は意識しあったけど現実は今の人生なわけで―。縁がな
2024年4月24日 20:05
白いボールは風に乗り、どこまでもどこまでも飛んでいった。その行方を目で追いながら、ダイヤモンドを必死にぼくは、駆けた、駆けた、駆けた。一塁を回り、二塁を回る。このまま一気にホームを駆け抜けろ。と思っていたら、三塁にかかったところで、外野がボールに追いついた。どこまでも飛んだはずの白いボールは、スタンドまでは届いてなかった。外野はホームに向かって投げ返した。素人とはいえ
2024年6月18日 17:20
大きく開いた空の下を夏、きみと二人で歩いていく静かな風は汗をぬぐって蝉の輝きは時を止める遠くで子供達が野球をやっているカビの生えた思い出が日にさらされ今にも飛び出しそうなぼくの幼さをきみは笑って見つめているそうだこの夏、海へ行こう忘れてきたふるさとの海へきみと二人で子供になって忘れてきたふるさとの海へ お祭りの夜、二人で浴衣着て いっしょに金魚すくいやろうよ幼い
2024年5月27日 09:00
みんなどうしているんだろうか?やっぱりこんな雨を見ながら呼吸をしているんだろうか?家庭という言葉に安らぎをみるんだろうか?幸せという言葉にいくつ出会ったんだろうか?犠牲という言葉に潰されてはいないだろうか?社会という言葉に振り回されてはいないだろうか?仕事という言葉にごまかされてはいないだろうか?疲れという言葉に甘えてはいないだろうか?時間という言葉にいらだってはいないだろうか?
2024年5月29日 08:36
基本は土を踏むのと何ら変わらないのですが、それを踏んだとたん、それまでの環境が一変してしまうものなのです。そのことを見聞きした友だちからは馬鹿にされ、あげくに好きなあの子に暴露され、ついには「変なあだ名をつけられるのではないか・・」といらぬ心配をしなければならなくなるのです。元はといえばあたりかまわずウンチをしまくるノラ犬たちが悪いわけなのですが、ウンチを踏んだという運命に思い
2024年5月31日 18:07
確かに何かやりたかったのだけど、確かに嫌になっていたのだけど、本音のところは何も考えられなくなったからだ。突然そうなったのではなく、突然そう思ったのではなく、十年と数ヶ月がその方向に歩かせたのだ。人生がヤル気という人為を嫌ったのだ。いろいろな事件があった。いろいろな思考もあった。だけどそれがいつだったかは忘れたし、体系付けて思い出すことも出来ない。今日はそんな日だ。いつも