先日マティス展を見ました。そのなかで、とても印象的な演出の一つは、会場の一部に、フランスにあるロザリオ教会が再現されていたことでした。そこには、朝から夕刻まで、一日の陽の光を追う仕掛けがなされ、白く静かな会場は、ステンドグラスから差し込むいくつもの色が屈伸を繰り返し、生き物を見ているようでした。 そのことで、最近思い出したのは、フランク・ロイド・ライト著の「自然の家」に書かれていた内容でした。家をどのように照らすかというくだりで、「家を照らすもっともよい方法は、神の照らし給
先週は、とても久しぶりに、山口周氏の「世界のエリートは、なぜ「美意識」を鍛えるのか?」、を読み直しました。 そして、印象に残った一つは、マツダの自動車が、デザインで審査されるWorld Car Design of the Year での受賞歴が数回あること、これは、他の日本車メーカーでは、経験のないことであったという記載でした。 同書曰く、そして、私自身も感じていますが、一般的に、日本車は高い評価を得ています。ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーでも受領歴がありますが、それ
週末は、久しぶりにデール・カーネギーの「人を動かす」を読みました。 きっかけは、澤円さんの音声配信で、この本が紹介されたことからです。 この書籍は、だいぶ前に購入して、一度、目を通したものの本棚の奥にしまったままでした。今回、改めて、読み直すと、自分に必要なことがあまりに多いのと、それと同時に、守・破・離の教えを思い出しました。 これは、千利休が提唱した考え方ですが、検索してみると、まず先人が突き詰めて行った美意識の型を学ぶことで、自分の美意識を拡張できるということで
連休は、家族と、植物園でバラを、美術館の庭でカキツバタの観賞をしました。 両方とも私が往訪の予定を組みましたが、その際に、とても気にしたのが、その日の天候と開花状況でした。そして、運良くバラもカキツバタも存分に楽しめましたが、それは、家族との有意義な時間も含めて、まさに一期一会。 ちなみに、能をみていると、この一期一会を感じます。それは、能の舞台は、原則として、一度しか演じられないこと、つまり、同じ演者と内容での一ヶ月公演などというものはないこと。また、演者が役を受けてか
先日、メンズファッションのプロデューサーMBさんのVoicyを聴いて思い出した言葉がありました。 きっかけは、人生の転機を迎える方に対して、MBさんがおっしゃった、人生は長いのだから、何かに対して一貫性がなくてもいいという内容でした。 それを聴いて、私の頭に、世阿弥の書籍「花鏡」に書かれている、「初心」が浮かびました。 私を含め、多くの人が、「初心忘れるべからず」という言葉は、何度も耳にしています。 そして、その解釈は、一般的には、物事を進めるときに、最初の志を思い出し
桜の後は、新緑やあやめなど、青みのあるものに、初夏の爽やかさと彩りを感じます。 先日、能の杜若(カキツバタ)を観ました。 伊勢物語を元に、有名な東くだりの「唐衣 着つつ馴れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ。」の和歌も含まれ、カキツバタという言葉が出てきます。 演じられる作品には、綺麗な紫色の装束が使われます。そして、その色を表す日本語でも、カキツバタと同じ種属性の菖蒲と名のつくものがあるそう。菖蒲色と呼ばれ、それが現在の紫がかった色を示すようになったのは、
私は、いま、婚活中なのですが、だんだんと楽しくなってきました。 それは、ありたい自分を意識して過ごせるから。 この「ありたい自分」で生きるというのは、尊敬するvoicyパーソナリティの澤さんが、テーマとしていらっしゃることで、最近、その言葉の意味がしみじみと噛みしめています。 これまでの自分については、それはそれとして、在り方を自分で選ぶこと、選べること。 今日もこれからも自分でデザインできるのです。 自分の生育環境がどうであれ、今とこの先は、自分で決めるだけ。 あ
こうして、自分の経験や感じたことを書かせていただきながら、私にとって自立とは、ひとことでなんだろうかと考えていました。 そんななか、先日、尊敬するVoicyパーソナリティ澤円さんの新刊出版記念イベントに参加した時に、同じパーソナリティでいらっしゃる伊藤洋一さんとのお話の中で、 「Free Flat Fun」 という言葉が出てきました。 自由で対等に、そして楽しく まず自分に、そして周りにも。 これが、答えなのでしょう。 そして、これを意識していくことで、より、自分で自分
婚約者と別れた後は、しばらく放心していましたが、自分を分析し、受け入れることで、大きな気付きを得ました。 そのうちの一つが、自分の取り扱いを間違えていたということ。 私は、自分の中の男性性が強めだと思っていました。 ちなみにこれは、LGBTQという話ではなく、右脳左脳や陰陽など、一つのものが持つ、相反するものの例えで、私の中の男性性と女性性という意味です。 そして、私は、自分の男性性に嫌悪感をおぼえていました。強すぎるから男性に受け入れられないとも思っていました。
自分のADHDが判明してから、しばらくして、遠距離恋愛の彼と婚約をしました。彼は、私のアダルトチルドレンやADHDのことも理解して深く受け止めてくれる人でした。 自分を正直に表現できて、とても相性の合う人なので、その存在を幸せに思っていました。 妊活も始めて、卵子凍結をしていました。 しかし、しばらくして、会話が噛み合わなくなってきたのです。 仕事が忙しかったせいもあるのか、一人になると、つかれたと言葉にすることが増えました。 原因を考えても、よくわからず月日が流れてい
そんななか、以前から気になっていた検査を受け、そして、自分が発達障害グレーゾーンADHDタイプであることがわかりました。 安心しました。 様々なつじつまがあった気がしました。 以前から、外出時に自宅の鍵をかけても、すぐに忘れて不安になり、家に引き返したり、集中力が途切れがちになったりすることに気がついていました。 そして、両親やきょうだいなど家族全員に何某かの発達障害と思われる様子を感じていました。 ただ、自分は、正直にいって、「まとも」でいたかった。私だけ、「普通」
自分を受け入れることができ始めると、親との関係性にも影響が出てきました。 穏やかにコミュニケーションをとれる機会が増えてきたのです。 同居はしていませんが、なんというか、自分を軸にして、心地よい距離が保てるようになりました。 親との関係性に変化ができてくると、ほかの人たちとの関係性にも派生したのか、人間関係が少し、楽になってきました。
本来の自分を見失っていたと気付いてからは、思うことをひたすらノートにかきました。 自分を見失っていたことには気が付いたものの、そもそも本来の自分がなんなのか、わかるようでわからなかったからです。 自分が思う自分を良し悪し関係なく書いてみたり、そこで出てきた言葉をキーワードとして、さらに、掘り下げてみたりしました。 それを続けていると、あるときから、肯定感が少しずつ、芽生えてきました。
ノートを書き始めた頃は、誰に見せるでもないのに、良いことを探したり、無理なつじつま合わせを懸命にしたりしていました。また、反省や裁く表現もたくさんありました。 その期間を経て、いちいちジャッジをいれずに、淡々と自分の気持ちをしたためる、その気持ちに向き合うことをするようになると、自分がいかに、勝手な思い込み、幻想、常識に囚われて、本来の自分を見失っていたかが、わかるようになりました。
アダルトチルドレンという言葉を聞いたことのある人も多いかと思います。 https://terapi.jp/column/characteristics-of-adult-children/ こちらのサイトによると、「子どもの頃に親や養育者など家族から受けたトラウマによって、大人になってからも自身が生きづらさを感じながら生活している人のこと」となっています。 自分でも自覚しているのですが、自己肯定感が低いこともあり、以前は、相手にただなびいたり、気に入られようとしすぎて、
よく聞いている音声アプリvoicyで、さわなおさんというパーソナリティがいらっしゃいます。先日、放送にコメントをしたところ、取り上げていただきました。(嬉) 私は婚活中ですが、これまで、うまくいかなかったことの一つが、自分らしい自分と、無防備な自分との境界がわからず、正直であることが大切だとして、自分を出しすぎていました。はっきりいって、不躾な感じです。 そして、相手はきっと困っていたのに、そのことに気がつくことが遅れて、関係が続きませんでした。 その原因の主なものには