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醜くも美しいインターネット

この醜くも美しい世界、みたいな相反した言葉だったり概念が好きだ。 世界は醜く、争いは絶えず、人類は好き勝手やっているなと思う一方で、やはりそれを含めても美しいものと思ったりするものだ。 インターネットもそれだ。 私が所在するインターネットは、まー醜い。 争いは絶えない。誰かが誰かを疑うし、叩かれている人を見かけたら一緒に叩きにいく。人への配慮はなく、好き勝手にものを言う。 見栄を張り、マウントを取り、イケてる自分を演出するようなこともあるだろう。 醜い、とまでは言わないが、

    • 物語を完結させて欲しい、というエゴ

      好きな物語が途中で終わってしまうことにそこそこ耐えられない。 更新がなくなってしまった作品や、続きが作られなかった作品、例えば、作家の方が亡くなってしまった作品など、完結されない作品は無数にあるだろう。 私は、それがそこそこ耐えられない。とても悲しい気持ちになってしまう。 やるせない、と思ってしまう。全てにお金を払えているかというと怪しいが、できるだけ好きな物語にはお金を払いたいと思ってもいる。 もちろん、はじめた物語を完結させる難しさは創作について素人の私にもわかるこ

      • 魂と熱量

        魂の重さは21gである。私はそんな話が好きだ。 これでも私はどちらかというと現実主義的な思考を持ち、論理的思考も持ち合わせているタイプと言えるし、そう見えるだろう。 一方で、幽霊や宇宙人の存在は信じたいし、お参りはするし、ガチャを回す時は神に祈りを捧げるのだが。 ところで、人の魂は、本来的には21gでは無いんだと思う。 文字通り人生の中で「魂を削った」り「魂を込め」た結果、おおよその人たちは21gしか残らないのだろう。 なんだか、そんなふうに考えてしまう。 この「魂を

        • 期待値の低さと生きやすさ

          ネガティブ側の期待値は高く、ポジティブ側の期待値は低く、そんなふうに生きていくのが正解だと思っている。 仕事や生活の中で、人と人とのぶつかり合いの大体は「期待値のズレ」ということになるのだろう。だとすると、期待値を最初から高く見積らなければぶつかり合いはできる限り避けられるだろう。 このことを踏まえて、私の癖として自分に期待しないというものがある。 「自分なんか…」方式で、自分が自分に対する期待値を極限まで低くしておけば、相手が自分に対してネガティブな行動をしてもマイナス

          人生の時間が足りないのにたくさん仕事してしまうし寝てしまう

          自分の休日の過ごし方を見て、こう思ったのだった。 多分、体力が足りていないのだろうと思う。身体的な体力も脳の体力も。 どういうことか。 私は人生の時間が足りないと常々思っている。 私は、漫画や本、映画、ドラマ、アニメ、ゲームなどのコンテンツが大好きなのだ。将来、大量の本が降ってきて埋もれて死ぬのが本望だ、と触れ回っている。 それくらいにはコンテンツが好きで、本屋さんにいけば「こんなに本があるのに人生で読めるのは一握り…」とか家電量販店にいけば「こんなに面白そうなゲームがた

          人生の時間が足りないのにたくさん仕事してしまうし寝てしまう

          格好のいいことを言って、行動を伴いたい

          人に対して格好のいいことを言う時、行動も伴いたいと思っている。 吐いた言葉に責任を持ちたいし、逆に、自分への枷として何かを宣言することもある。 格好のいいことを言うこと、それ自体はいいと思っている。誰だって格好つけたい。けれど、それって行動が伴わないとダサいよな、と思ってしまう。 最近気づいたのだが、自分の中で精神的な部分での格好いいとかダサいとかそういうのがあるらしい。できるだけダサいことはしたくないし、格好いい人を見て憧れたりするのだ。残念ながら、見た目とかそういうやつ

          格好のいいことを言って、行動を伴いたい

          狂いそうになる時、人は文字を書く

          最近、感情に振り回されるということが多い。頭の中で色々なことを考え、理屈ではおかしいと思えるような行動や思考をしてしまうというのが感情だということもわかった。 この感情というやつのせいで狂いそうになる、というか、もうおかしくなってるのかもしれないが、そんなときの対策手段として「文字を書く」ということが有効なことに気がついたのだ。 自分が思っていることや、なぜそう思っているか、などを文字にすることによって少しばかり冷静になれるのだ。一方で、呪いにもなり得るのだがそれはまた別

          狂いそうになる時、人は文字を書く

          飲み会後の一人反省会

          人と喋ったあと、頭の中で大体一人反省会をしている。 私は基本的に、余計なことを言うタイプだ。その上、わかったような口をきくこともある。その上で、人と喋ることが割と好き、という難儀なタイプである。 こういうタイプは飲み会などで人と喋ったあとどうなるかというと、その時々はいいが帰り道に頭の中で一人反省会が開催されるのだ。 議題は大体「うーん、こんなこと言わなければよかった」とか「ここはもっとこう言ったほうがよかったよな」とか「これは言いすぎたよな」とかなんかそういうことだ。

          飲み会後の一人反省会

          言語化は解放であり、呪い

          だと思った話。 最近、自分の思考や感情を言語化することが好きなんだな、と思いはじめている。多分、誰に見られるでもなく自分の中にあるものを書き殴るのが好きなんだろうと思う。属性や役割、社会性を捨てた上で書けることって、あるよね。あると思う。 で、これをやっていて発見したこととすれば自分の思考を文にしてどこかに設置するということは言語化され、整理され、晴れやかな気持ちになることが結構多い。振り返りの記録としても優秀だ。存外、自分が書いた文章を読み直すというのも面白い。発見があ

          言語化は解放であり、呪い

          「面白い」への信仰

          が強い。 「面白い」が好きだ。 これは、コンテンツでも体験でも人でもなんでも。 自分の人生の大きな軸の一つでもある。 特に社会人になってからは、「面白い」方にキャリアが転ぶような仕事の選び方をしていたりもする。別に面白くない仕事もあるけれど。 まあ、とにかく「面白い」ということへの信仰心が強い。 そして、私は「面白い」を信仰しているだけで、自分の好みでなないものを「面白くない」とこき下ろしたいという意図は全くないし、むしろ世の中にあるものって基本的には全てが「面白い」に

          「面白い」への信仰

          得意技、盲信

          盲信、してますか? やばい一文から始まってしまったが、宗教の勧誘でもなく、スピリチュアルな話でもないから安心してほしい。 実は私は最近、盲信するのが得意なんじゃないかと思ってきた。もしかしたら壷とか売られちゃうかもしれない。 まあでもつまり、意図的に思い込む、ということが案外得意ということらしい。おおよそ仕事において、ではあるが。 私は意志があまりないという自覚がある。社会に対して成し得たい強い想いがあるわけでもなく、自己を高めたい、みたいな意欲はぜーんぜんないのだ。会

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          仕事という麻薬

          最近、仕事に溺れているわけでもないが、うーん、肩あたりまでは浸かってる気がする。 これはわざと半分、不可抗力半分みたいな感じで自己責任も多少はあると思っている。手を抜けるところを手を抜かない判断をしたり、入り込み過ぎなくていいところを入り込んでいくとか、そういうのをやってる。なんでだろうね。 まあこれは、いくつか理由があって色々やらなかったことで後悔したので、後悔のないように首を突っ込もう、みたいな話がひとつ。もう一つは仕事に浸かってると余計な色々を考えなくても良くなるこ

          仕事という麻薬

          夏休みの宿題が終わったことない

          という記憶がずっとある。 8月31日って一般的には小中学生の夏休みの終わりの日だからなんとなくこの頃のことを思い出す。 私はあまり出来の良い学生とは言えなかったので、計画的に夏休みの宿題を終わらせる、なんという経験は今までで一度もないように思える。 記憶にあるのは、3日前に自由研究が終わってなくて親に手伝ってもらったり、図工?とか美術?系の宿題が何もできずに親に手伝ってもらったり…みたいなそんな記憶しかない。親、ありがとう。 なんなら、9月1日の朝とかにその日の提出の宿題

          夏休みの宿題が終わったことない

          できないことはできないからやらない

          ということを、比較的に信条として持っている。 私には苦手なことがたくさんある。勉強も苦手だし、コミュニケーション能力もあまり高くない。あとはこう、コツコツとした努力のようなものも苦手。 で、これによってできないことがたくさんある。 習熟に時間がかかることもできないので、絵を描くこともできないし、小説なんかを書くこともできない。あとは勉強が苦手なので、プログラミングなんかもできない。情報工学科卒なのにね。 あとは興味のないことに向き合うことも苦手。本当に顔に出るらしい。興味

          できないことはできないからやらない

          久々に会った人、会う人との話

          社会人歴が今年で10年になる。 と、いうことはつまり、新卒で出会った人は10年の付き合いになるし中学校で出会った人とはほぼほぼ20年の付き合いになるということだ。びっくりだね。 社会人にもなると、月1回とか定期的に会う人との方が少なくて、大体の友人知人は半年〜1年くらいの間で会うことになる。 なので、「ひさびさ」という感じになるわけだ。 なんなら、今日会った人たちは中には7年ぶりくらい?の人がいたり、3年ぶりくらいの人がいたりと、まあ久々に会ってどんなことをしているだとか、

          久々に会った人、会う人との話

          自分の言葉で言語化するのがたのしい

          かもしれない、と思い始めてきた。 最近、自分の感情とか楽しかったとか、どう考えて生きているかみたいなことをこういったブログとかで言語化しているが、それが楽しくなってきた。 もともと、インプットは多少しているものの、アウトプットはとても苦手で、絵を描いたり、文字を描いたり、撮った写真をアップしたりすることは避けてきた人生だった。 で、これはなんでだろうなと考えたが、おそらく多分、ずっと字が汚かったということに起因がしてそうに思う。すんごい、汚い。びっくりする。 字が汚い

          自分の言葉で言語化するのがたのしい