物語を完結させて欲しい、というエゴ
好きな物語が途中で終わってしまうことにそこそこ耐えられない。
更新がなくなってしまった作品や、続きが作られなかった作品、例えば、作家の方が亡くなってしまった作品など、完結されない作品は無数にあるだろう。
私は、それがそこそこ耐えられない。とても悲しい気持ちになってしまう。
やるせない、と思ってしまう。全てにお金を払えているかというと怪しいが、できるだけ好きな物語にはお金を払いたいと思ってもいる。
もちろん、はじめた物語を完結させる難しさは創作について素人の私にもわかることではある。
が、やっぱりはじまった物語は完結させて欲しいというエゴを思ってしまうことがある。
これはなぜなのか。
私は、そこそこの原作厨であり、色々な形の物語が好きなタイプである。
媒体は本でも、漫画でもゲームでもネットにある文字でもなんでも読む。
よくも悪くも、作者と物語が切り離されているタイプに思う。作家名よりも作品名で覚えるタイプだ。
原作厨な理由もわかっている。作者のことをその物語における神だと思っているのだ。だからこそ、作品と自分の解釈不一致にはなり得ない。
その代わり、やはり、完結しなかった物語は自分の想像の中でどこかに向かうわけでもなく、二次創作で満足できることもなく、神のいなくなった世界は時間が止まったままになってしまうのだ。
打ち切り漫画なんかにも似たようなことを思う。
作品を読んでいて、「打ち切りだな」と思ってしまうのは辛い。強制的にそこで物語が閉じられてしまうことがこちらにも伝わってきてしまうからだ。
これもやはり、完結させてほしいと思ってしまう。
だが一方で、エンタメ企業のサラリーマンとして、商業で展開されている物語は創作ではあるものの、大前提としてビジネスとして展開されているものという理解がある。お金が生まれなければ、終わってしまう。だからできる限りお金は払いたいなと思うわけではあるが。
そんなこんなで、たくさん読んで、完結に出会えればすごく嬉しく、途中終了を見てしまうととても悲しくなる、そんなことを思いながら日々物語を楽しんでいる。