期待値の低さと生きやすさ

ネガティブ側の期待値は高く、ポジティブ側の期待値は低く、そんなふうに生きていくのが正解だと思っている。

仕事や生活の中で、人と人とのぶつかり合いの大体は「期待値のズレ」ということになるのだろう。だとすると、期待値を最初から高く見積らなければぶつかり合いはできる限り避けられるだろう。

このことを踏まえて、私の癖として自分に期待しないというものがある。
「自分なんか…」方式で、自分が自分に対する期待値を極限まで低くしておけば、相手が自分に対してネガティブな行動をしてもマイナスにはならず、ポジティブな行動をされたらただプラスになるので、存外悪くない癖ではある。自信みたいなものは育ちにくいものの、自分の感情をコントロールをするのには良い方法だろうと考えている。

例えば、仕事においては自己評価はあまり高く見積らない。「普通と比べて少し悪かった」みたいな期待値で提出している。多少の成果は出しているものの、やはり期待して外したときが辛いので、あまり自分の成果に期待しないようにしている。そこから、想定通りのあまり良くない評価だったとしても「そうだね」で終わるし想定外に良い評価をもらった場合は「うれしい」になるのだ。

それなりに準備した仕事で好き放題なことを言われたり、なんてことは、相手と自分の期待値とのズレなのだ。

一方で、管理職の私としてはこういった部下は非常に扱いにくい。わかっている。褒めても謙遜どころか自己否定をし、成果を伝えても恐縮される、それでいて仕事をはそれなりにするなんてなんて面倒なんだ。と思う。
その自覚はあるので、上司には面倒で申し訳ねえ…なんてことを言っている。これが言える上司でよかったね。

逆に、いい評価がもらえるかも、とかこの仕事はいい成果が出るかも、とか、いいことが起きるかも、とか考えているときは危なさも孕んでいる。
それが起きなかったときには、やはりネガティブな感情になってしまうだろう。
そうして、憤りに変わるか、悲しみに変わるか、何がしかのネガティブに感情が支配される。これを起こさないようにするためには、やはりあまり期待しないことが大事なのだ。

自分の感情が憤ったり、悲しんだりするときは、この考えに立ち戻る必要がある。逆に、相手が怒っていたり、悲しんだりしているときは「自分の期待値とずれていたのかもな」と相手へ寄り添う必要がある。

本来であれば、自分に対する期待値、相手に対する期待値を正しく見積もることができればこんなことをしなくてもいいと、そんなことはわかっている。

けれど、そんなスキルはあいにく身についておらず、かつ自己肯定感がそれなりに低い私は自分の機嫌をうまくコントロールし、相手とのぶつかりあいを避けるためには、こんな風に生きていくのがちょうど良いのだ。

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