8月1日で踊り子デビュー1周年を迎え 7月の中旬はセクシー女優の初めての撮影から 丸3年経ちました。 最近踊り子の劇場で、よく 「舞台とかもやっていてすごいね。そんな子がこの世界にいるなんて」と言われます。 私はあんまり表に出さないけど、 実はコンプレックスが多かったり、 苦手なことも多かったり不器用で。 そんな私が表現という、芸術と人気商売の間の職業にしか興味が持てないのは もう本能というか、しょうがないことだなぁって思ってます。 週5回、同じ時間と環境の中で働ける人、
1年を総括する時、その年最も自分が口にしていた 言葉を思い出すのだけど 2021年は温もりでした。 「〜さんからすごく温もりを感じます!!」 みたいなことを色んな人に伝えてた気がする。笑 そう言ってしまうと、すごく安い感じなんだけど 温もりを感じる人とたまたまよく出会えてただけ😌 こんなに温もりを感じられて めちゃくちゃ2021年ラッキーな1年でした🍀 たくさんの出会いがあり 人の温もりに触れ、 仕事もプライベートの予定も極限まで詰め込んで 自分の好奇心はここまで行動力にな
愛を知らない人なんていないと思うんです。 時間や環境の慣れ、 様々な要因で忘れてしまうことはあるかもしれないけど。 離婚した夫婦だって、 性自認が女であることを受け入れてもらえないと思っていた彼氏だって、 浮気を疑ってしまった彼女だって、 恋人に正体がウルトラマンや星人だということを隠していたって。 掘ってみれば、心の底にはみんな愛がありました。 この世にはねじ曲がった愛もあるけれど そもそも、愛は、 男女とか肩書きとか対象物が生物的な同類じゃなくったって 「自分にとっ
4月30日に21歳になりました。 1年前20歳になった時、ちょうどコロナ第1波の真っ只中で緊急事態宣言が出て20歳のバースデーイベントが中止になったのを覚えています。 今年21歳になった時も緊急事態宣言が出ていて 中々変わらない状況に苦しい思いもあります。 でも、 世の中の状況が中々変わらなくても、 20歳の私の1年間は とても濃く、色々なことがあり、とても変化のある1年を過ごしていました。 仕事のことでいうと、制限されているから、 自分から動かなければどうにもならな
3月14日、1ヶ月半の稽古で作り上げた 舞台「ラブワクチン」の幕がおりた。 私としては、2年半ぶりの舞台。 それも2年半前までは毎日のようにお芝居のことを考えて、10年間舞台を続けてきた人間だった。 もう舞台には出ない。そう決めた2年半前から 時間は経ち環境が大きく変化した。 今回の舞台はたまたま元SODの方が主催で旗揚げを公演をするということでオファーをいただいた。 断ることも出来たけど、 私はすぐにOKの返事を出した。 2年半前に舞台をやめて久しぶりに演劇をすることの
昨日までミスiD復活戦を受けていた。 配信を見ていた人達はわかるとおもうけど 私は自分の弱さをあまり見せない人だ。 見せないというか、マイナスな気持ちを 抱かないように生きているから 感謝で涙することはあっても、後悔で涙を流すことはほとんど無い。 どんな状況でも、 目の前に起きていることに対して過去を振り返っても 何も変わらないことを知っているから。 前を向いて今できること、今やるべき事を考えて行動する。 ただそれだけ。 10代の頃は、 自分の感情に任せて生きていて
noteに自分の文章を載せることの照れも だいぶなくなってきた。 どう思われるかよりも、 私には伝えたいたくさんの言葉あることに気づいたから。 昨日あたりから、ミスidセミファイナル選考期間がもうすぐ終わるので悔いのないようにと小林さんからの愛のあるツイートや全員にメールでのメッセージもあったので、 私も悔いを残さないように 残り少ない時間を少しでも 自分の表現の時間に使おうと思っている。 ミスiDを受けてから、 ファンのみんな向けのツイートだけじゃなく 誰も求めていない
あるツイートでみつけた文章に 「…人生は競走じゃなくて、旅だから」 というのがあって、私はその言葉にすごく心が動いた。 思い返してみれば、 私の人生はいつだって旅ではなく競走だった。 誰かの1番になりたい。 あの子より可愛いって言われたい。 あの子よりモテたい。 あのイケメンを落としたい。 みんなよりいい成績を取りたい。 誰かに褒められたい。 そうやって積み重ねた私の人生は ちょっとつまらないって今は思う。 私にとっては、競走で1番を探している方が、 素敵な人生の旅を
こだわりのものはありますか? 実は、ここ2年前くらいまで、 私にはひとつの物に対するこだわりがすごくありませんでした。 こだわるというのは 趣味価値観センス、その人の色々な面が見えてしまう。 ある意味、こだわったものを見るだけで、 その人の一面すら見えてしまう気がするんです。 だから、周りを気にしていた頃の私には自分のこだわりなんて見つけられなかったんだと思います。 自分基準で決まるこだわりに正解はないけれど だからこそ難しい。 小さい頃や学生時代は周りからこれはどう見
ある人との出会いは 先日あった内田監督の配信ドラマの撮影現場でした。 私は下着の女として 一瞬写真に映るだけなのだが、 共演した相手の役の俳優と仲良くなった。 帰りは1時間バスを待たなくてはならなかったので、 近くのチェーン店の居酒屋で 1杯だけ乾杯をした。 その時に、私のセクシー女優の仕事の話になり こんなことを言ってくれた。 「昔、吉原No.1の知り合いがいて、その人にどうして今の仕事をしているか聞いたら…」 私が暴発点になってるの。 私達の仕事がなかったら、性
私がどうしてセクシー女優になったのか。 セクシー女優の方にはあるあるな どうしてなったの?という質問。 元々私は10年近く、舞台を中心にお芝居をしていました。 10歳くらいからずっと女優になることが夢だったんです。 劇団に所属し、同時に事務所にも所属して 小さい頃からしっかり観客からお金をとって芝居をしていました。 それでも、中々給料がもらえる仕事はできなくて… やる気、努力、目標をもっても 上手くいく世界でもありません。 それでも私は女優になりたいと思っていました。
カメラテストは今思い返すと最悪な出来だった。 まず、最初の自己PR動画撮影は何故か勝手に最後のリハーサルの場だと思ってしまってた。 動画撮影後急に出てきた小林さん(審査員)に対しても、 ポーカーフェイスで「こんにちは〜😊」みたいなよそ行きな顔して。 内心では「え!?今のが本番だったの!?待って待って!やばばばばば!」みたいなことになってたのにな。 どうしていつも私はかっこつけてしまうんだろう。。 焦ってるのを隠してポーカーフェイスしてるよりも その時の焦りをそのままだ
食事で涙を流したことはありますか? 美しい自然の絶景を見た時や ヒューマンドラマで素敵な生き方を観た時 五感の中でも 見るということで涙を流したことは何度もあるけれど、 味わうことでの涙はまだ私にはなかった。 よくある話では、 思春期にやんちゃしていたことがある人は 大人になった時におふくろの味を食べて 涙を流すというのは聞く。 過去の思い出と味が繋がるから。 でも、私が今回受けた衝撃的な感動の味は そういったものでは全くない。 ただ綺麗な景色をみた時にスっと流れる涙の
ミスiD2021カメラテストまで、 あと約17時間。 エントリーすると決めてからもう3ヶ月くらいたちました。 20年間、私は何かに夢中になる度に 才能を言い訳にすることがありました。 私にはセンスや才能が全くないと思っていたからです。 人より時間をかけて物事に向き合わなければ 私はとても中途半端な人間なのだと。 だからこそ、特別な人生を送ることが私の生きがいで、自分の中で普通じゃないことを選ぶことで、人との違いを測ることもありました。 でも、ミスiDを受け始めて少し変わっ
小さい頃から、歌うことが好きだった。 音楽っていう幅広いものよりも 小さい頃は、 自分が歌いたいと思う曲を探すため、 J-POPを聴くことが多かった。 最近は、洋楽やK-POPも聴くようになったけど 1番大好きなのは90年代のJ-POP、 特にビーイングと玉置浩二さんを死ぬほど愛している。 もちろん今も素敵な音楽がいっぱいある。 ついつい口ずさみたくなるようなキャッチーなメロディーには私が生きてきた平成、令和という時代を感じる。 小洒落たメロディと歌詞、歌う技術が必要なも