デザイナートトーキョー2024に行ってきました。 今年は青山、渋谷、表参道、外苑前あたりが会場でした。 今回見たかったのはLIXILさんの新しい浴槽、「バスタープ」です。 ワールド北青山で展示してました。 実際見たら思ったよりコンパクトだった。 共同住宅(賃貸)とかならこれだけ取り替えればいいから良さそう。外国人向
スーパーハッピーフォーエバーっていう脳天気なタイトルがトラウマになるくらい、内容はえぐかった。 これは「喪失」と向き合う物語だ。 (※予告が物語の7割です) いる、じゃなくて、いない、の存在感。 いなくなった、もういないっていうことが、ずっと続くんだなっていう。 喪失って、そういうことで。 無い、がずっと有る。 いつも何かを探している、いつも満たされない。 喪失に苦しむ人がなぜ苦しむのか、それは「満たされていた」時期があったからだ。 それがどれほど素晴らしかったか、愛
谷川俊太郎さんがいなくなってしまった。 谷川俊太郎さんが好きで、その考え方が好きで、折に触れて本を読んだり詩を朗読したりしていた。 いつでも手に取れるところに谷川俊太郎さんの詩があり、朝起きた時や寝る前、少し心が沈んだ時などには声に出し詩を朗読した。 谷川俊太郎さんの詩は、黙読ではなく声に出すことを想定されて書かれていると思う。 読むとそう思う。 朗読することで、心を平らかに滑らかにしてくれる。 フラットで、穏やかな気持ちになる。 誰でも出来る読経のような、不思議な詩だ。
充レン、知ってますかこれ。 バッテリースタンド。 充電器が借りられるんですけど。 駅とかカラオケボックスとかにある。 借り方は簡単。 最初だけちょっと登録手続きが必要(LINEでQRコード読み取るだけ)であとは割とすぐ借りられて、私もうっかり出先で電池無くなっちゃうことよくあるんで困った時はお世話になっていました。 先日、iPhoneのバッテリー無くなりそうだったから久しぶりに充レン探したんだけど、まじでどこも貸し出し可のところ無さすぎて何……みんなちゃんと返してないの…
設計の仕事は主に、契約してから着工するまで。 自分は実施設計なので、見積関係を精査したり、実施図面を書いて書いて書きまくって死ぬほど書いて、整えて、一式揃えてデータを然るべき所に格納するまでがメインの仕事だ。 納図が終わると「はーひとつ終わったーお疲れ私!」となり、その日はご褒美ビールを開けたりする。 もちろん、契約前や格納後(工事中)にもなんやかんややる事はあるのだが、やはり納図の日が一番達成感があるかもしれない。家が完成して引き渡す日もそれなりの感慨深さはあるかもしれな
先日、話すのがとても苦手な自分が、初めて自分から「話したい」と思い、「話したいです」と声を掛け、実際にオンライン配信で人と「話す」ということがあった。 いつからだろう。 いつからか、私は人と話す事が苦手というか苦痛だ。 本当は地下室の隅っこでずっと独りで図面を書いていたい。 表に出たくない。 閉じこもっていたい。 苦手だからこうして地下室の隅っこでずっと文章を書いたりしている。 仕事ではお客さんと話さなきゃいけないからもちろん話すんだけど、仕事上のそれは、明確にゴールが決ま
アーサーが終盤つぶやいた、 「There is no JOKER」 と言うセリフがクライマックス。 彼が「ジョーカーは居ない」ということを認めてしまった所がなんとも悲しく、と同時に良くぞそこにたどり着いてくれた、とも思った。 ラストも陳腐でチープなよくあるラストなんだけれど大変わかりやすく、伝わるべき大衆に伝わるようにちゃんと降りた表現だった。 あれは「どんなにかっこよくても悪は悪。それは許されず、裁きを受けるべき」というメッセージのように、自分は感じた。 前作「JOKE
バリ山行のレビューそういえば書いてなかったな、と思って書きます。 (もう結構前に読み終わってた) 結論から言うと、めちゃくちゃ面白かった。 面白すぎて一気に読んだ。 今年の芥川賞は二作選ばれ、今作はそのうちの一つ。 簡単に紹介すると、山登りの話と、リフォーム会社の話。 登山はちゃんとした事ないのでその面白さとかはちょっとわからない。 私のは登山というより物見遊山程度。なんなら軽いハイキング。 「バリ」はバリエーションの略で、バリ山行とはバリエーション登山という事らしい。
不思議なもので、「この人はあの時の私だ」と思う機会が、人生には何度か訪れる。 もう二ヶ月ほど前になるだろうか。 先日、私にプロポーズしてきた、命知らずの男がいた。 あれから色々考えた。 季節は巡り、夏は秋になった。 「私のどこがそんなに好きなの?」
どうしても廃倉庫でドンパチしたい黒沢清。 「蛇の道」でやり足りなかったのか。 今作では存分にやれて良かったですね。 アシスタントの佐野(奥平大兼)が、なんのアシスタントなのかっていう。 吉井(菅田将暉)が殺し屋になっていくようにアシストしていく話なのかなと思った。 倉庫のドンパチシーンでは、わかっていて、わざと狙われるような場所に出ていって吉井がやってくれるのを期待したり、先輩(窪田正孝)の銃を奪ったあとは(さあ、今ですよ)という目で佐野を見た。 滝本(荒川良々)を殺す時も
一本目が終わったあと、隣に座ったサラリーマン風の男性がまぁまぁ大きめのため息をついて座り直す様子を見て、ですよね、と思った。 私も同じタイミングで息を大きく吐いていた。 まじかよ、こんなしんどいの、あと二本もあんのかよ、って思ったよね。わかる。 濱口竜介監督の「偶然と想像」は三部構成のオムニバス形式で、一本がまぁまぁ長い。そして重い。 独特の感情をおさえた、膨大な量の会話劇とセリフ回し。見ているこっち側としては読書しているような気分になる。 この抑揚のない発声に違和感を覚え
読み終わった時、長く深く、息を吐いた。 リアルなんだよなぁ。全部。 マカロンを吐き出すくだりとか。 植物状態の人がこんな感じなの、全然知らなかったから単純に新鮮だった。 自分で咀嚼して飲み込んだり、突然目を開けたり、腕を振り回して骨折したりするのは想像した事がなかったし、知らなかった。 自分が生まれて物心着いた時にはもう、植物状態になっていた母親。 みおは「その母親」しか知らない。 そうなる前の母親を知る大人たちが母親のことを語っても、不自然で受け入れられないでいる。 知
フランス人のピエール・フォルデス監督が見た東京の風景が、実際の東京の風景とちょっとずつズレていて、その絶妙なズレ具合がぴったり村上春樹の小説の持つ世界観と重なってて、なんとも奇妙な世界になっていた。 監督は「自分が日本の風景をどう感じたか、をかたちにした」と言っていて、家もホテルも街並みも空港も、とても味わい深いかたちになっていて良かった。 中でも「かえるくん、東京を救う」に出てくるかえるくんは、サイズ感といい声色といい、まったくおそろしいくらいそのまんまのかえるくんで驚い
六月の最後に、同居人と一緒に映画を観に行ったのが最後で、その日から昨日まで映画館に行くことが出来なかった。 なんでって訳じゃないんだけど、特にそこまで観たい映画があったわけじゃなかったっていうのもあるんだけど、ただなんとなく、映画館には足が向かなかった。 最後に観た映画は「違国日記」と「蛇の道」で、どちらも印象的でとても良かった。 「違国日記」は一緒に読み始めた漫画の映画化だったから、思い入れがありすぎて、一緒に観れなかったら多分一生観れないままになるかもしれないと思って、
本年度芥川賞一作目。 なんというか、今まで味わったことの無い読書体験だった。 他の人はどう思ったんだろう?と思って検索してみるけど、びっくりするほどレビューが少ない。 確かに、「感想の書きづらい本」かもしれない。 共感するポイントが少しでもあればまだ書きようがあるのだろうけど、今作に関しては「共感」することが非常に難しい。 少なくとも自分はそうだった。 特異な性質を持った二人の女性が主人公だ。 外からは一人の体に見えるが、間違いなくその中には二人の人間がいて、それは二重人
たくさんの雨の時が終わって、うんざりするほど暑い暑い毎日がやって来た。 今年も太陽が近過ぎる。 全身の皮膚が、強烈な日射と極端な冷気に交互に曝されてストレス。 自律神経を狂わせる。 暑いと思ったら寒いし、寒くないのに暖かいと感じる。 知らないうちに身体は冷えている。 欲しかった本が見つからなくて、本屋さんを三軒ハシゴした。 けど一番欲しかったのは見付けられず、二番目に欲しかった本と、買う予定じゃなかった本を買った。 読み終わったらまた探しに行こう。 もうすぐ長い夏休みが