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谷川俊太郎さんがいなくなってしまった

谷川俊太郎さんがいなくなってしまった。


谷川俊太郎さんが好きで、その考え方が好きで、折に触れて本を読んだり詩を朗読したりしていた。
いつでも手に取れるところに谷川俊太郎さんの詩があり、朝起きた時や寝る前、少し心が沈んだ時などには声に出し詩を朗読した。

谷川俊太郎さんの詩は、黙読ではなく声に出すことを想定されて書かれていると思う。
読むとそう思う。
朗読することで、心を平らかに滑らかにしてくれる。
フラットで、穏やかな気持ちになる。
誰でも出来る読経のような、不思議な詩だ。

晩年は軽井沢の方にいらっしゃって、自然と共に暮らし、その中で生まれる言葉を綴っておられたようだった。
きっと、最後の最後まで、エネルギーと情熱をもって命の火を燃やし尽くしたのだろう、と想像する。
私が思う谷川俊太郎さんは、そういう人だ。

何か迷ったり困ったことがあると、自分の中に蓄積された谷川俊太郎さんに相談する。
谷川俊太郎さんなら、こんな時どうするだろう?
どういう言葉で、行動で、どんな選択をし、次に向かって進むだろう、と。
私は私に自信が無いので、尊敬する谷川俊太郎さんの判断に一旦委ねる。
そうする事で切り抜けてきた数々の人生の選択がある。

谷川俊太郎さんがいなくなってしまった。
困る。
今日から谷川俊太郎さんのいない世界で生きなくてはならない。
大丈夫かな。
不安しかない。
こんな時、谷川俊太郎さんならなんと言うだろう?


問いかけは常にここにあり、
答えもまた、ここにしかない。




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