自主性・主体性・目的意識

私は、度重なる【自己嫌悪】【自己否定】【ネガティブ】について考えていた。すると、何故か急に浮かんできたワードがあった。【自主性】とか【主体性】みたいな言葉。どちらの言葉も、基本的に【主語を自分とした時】に多く使われるイメージ。最近の私が、特にこだわるポイントは【自分を理由】にすること。何を決めるにしても、まず【自分の納得する理由】が大事。そうでないと、【自分に関わること】に対しても、常に「あの人がこう言ったから」とか「この人がそれを望んだから」とか思ってしまう。それに、友達や周りの人達に【聞かれて答える時】や、【自分から話をする時】を想像してみる。【私が話している】とか【私が聞かれている】のに対して、【話の主人公は、私ではない】って状態になる。実際に私は、最近特に、そんなことばっかりだ。実感する度に毎回反省する。

実際のところ、【もう既に終わってしまったこと】が多いので、今更【私を理由】に出来ることは、日に日に少なくなっている。しかし、今からでも私がメインで決めることがある。ある程度は固まっている話なので、これまた今更、『私の独断を話していいのか』と【不安】はあった。けれど、私は【どうしても私の理由が欲しい】と強く思っていた。【このまま何も意見しない】でいたら、『きっと後悔する』と思った。『あの時私は言わなかった』とか『旦那や旦那の両親を理由に決めたことになる』とか。
『もう同じことは繰り返したくない!』と思う気持ちから、私は自分で行動を起こした。その結果、以前の話と並行して計画を進めることが出来た。しかし、それでも私は悩み続けていた。『本当にこれでいいのだろうか』と。以前から友達に相談したこともあり、友達の感覚を聞いてみた。また、【本来の私の希望を原点】に『考えた時にどうなのか?』と改めて考えるきっかけにもなった。ただ、それでも私は、【自分1人で自分の答え】を出せなかった。というか、【自分のこだわるポイントが明確だった】からこそ、『旦那に話して決めたい』と思った。

結果的に、旦那と話して方向性は定まった。そして、『これで1つ、私の課題がクリアになった』と思った矢先、また新たな課題がやってきた。説明が前後するけれど、上記の話は、キッチン周りの話。
そして今度はベッドの話。今の賃貸では、寝る時に布団を敷いて、起きている時は折りたたんでっていう生活スタイルだった。ベッドは無いけれど、敷布団の下にマットレスを敷いて寝ているのは私だけ。また、私の以前の夢は、2人で1つのベットで寝ることだった。それに私は、ベッドではなかったとしても、マットレスは必要だと思っていた。
しかし、そんな希望は【全て私だけ】の問題。旦那は敷布団1枚で満足している。だから私は、旦那から「新居でベッド欲しいのか?」と聞かれた時の返事を、曖昧にしていた。『私だけの希望でわざわざ購入する程でもないよね』なんて気持ちがあったから。つまりは『旦那が買うって言ったら買うし、買わないって言ったら買わない』って感じ。再び私は、完全に【旦那を理由】にしているだけだと思い知った。

すると、やっぱり私は、『なんで同じことばっかり繰り返してるの』って【自分を責める気持ち】になった。しかし、『そんなこと思っていてもしょうがない』って、気持ちを切り替えた。
そして、『どうしたら【自分を理由】に答えを出せるのか?』と考え始めた。この疑問を解決するために辿り着いた私の答えが【自主性】や【自主性】っていう言葉だった。そして、【完全に私に足りていないもの】だと自覚した。

何かと【決断を求められた時は他人任せ】で、【自分で責任を取るような意見を言わない】私。
【そんな私はダメな人間】っていう思考が、まず1発目に浮かんだ。そこから間もなく私は、少し考え方を変えてみた。『私はダメな人間だ』なんて思わないで、【それを良くする方法を考えること】に目を向けて見ようって話。

思い返してみると、昔から私は「お前は主体性がない!」と、散々父親から言われていたことを思い出した。当時は、【怒らている】と思って聞いていたのだけれど、我ながら笑えてくる。『旦那から直接言われた訳では無い』のに、何故か『同じことを言われている気分』になった。また、私だけでなく、母も頻繁に言われていた光景が目に浮かぶ。『本当に似た者同士なんだな』とつくづく思う。んまぁ、【似ているだけで同じではない】のだから、【私次第】で『どうとでも変えていきたい!』と思ってるけど。

【自主性】【主体性】のワードについて。今の私には『間違いなく足りていない』と自覚出来る。【何事も自分を理由に出来ないこと】と比例して思い当たることも、同時に浮かんだ。
【誰かに言われないとやらない】とか【誰かに言われてやろうとすることが、上手くいかない】とか。更に、言われる本人からの【少し強めな口調】とか【呆れられる発言】とか。【何か言われることで、瞬時に凹んだり萎えたり】するとか。そんなようなことが、私の身に並行して起こっている。

でも、考えてみたら当たり前だ。そもそも【自主性】や【主体性】が乏しいのだから。んだし【意欲的な姿勢】には、なかなか見えないよね。【言われる相手の意図】や、【その先に何がある】のか、【何のために今やる必要がある】のか。そもそもの【目的に対する意識】も無い。そう考えると、【自主性】【主体性】と共に、【目的意識】ってことも、とても大切な気がした。
私が思っていた【目的】って、振り返ってみたら『めちゃめちゃ的外れな独断でしかない』と反省ばかり。というのも、【2人の豊かな夫婦生活】とか【未来の子供を想定した生活】とか。本来ならば、【夢見心地にも似た期待感】とか【現実的な生活の責任感】とかをイメージするはずだよね。
なのに私は、【私の稼ぎは少ないから】とか【旦那のお金だから節約しないといけない、迷惑かけちゃいけない、お荷物になりたくない】とか【私の為に贅沢な物を買うなんて、もったいない】とか。とにかく【自分本位】な思考ばかりだった。引越しに伴う沢山の選択と決断に、上記のような【目的意識】は確実に少なかった。だから私は、『極端に消極的過ぎたんだ』と今になって納得する。んまぁ『時既に遅し』って感じだけど。

私にとっての【自主性】【主体性】【目的意識】について。今更とはいえ、【自分の足りなかったところ】と【根本の原因みたいなもの】が明確になった。今後の【私の人生、生き方】において、とっても大切にしたいと思う【意識的】なもの。【とても苦しい思い】もしたし、【すぐに劇的な変化は難しい】かもしれない。けれど、【私のペース】で確実に前進して【私の人生を生きたい】と思う。

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