時は朱雀帝の御世に戻り、東宮があて宮の入内を要請した翌年2月、源正頼は春日詣を行います。正頼の母が藤原氏のため、藤原氏の氏神を祀る春日大社へ、子供達や婿達を連れて参詣します。 夕暮になり、あて宮は琴を弾き鳴らしました。この琴は、忠こその継母にあたる一条の北の方が零落して売り払った俊蔭の琴で、正頼が買い受けていたのでした。 同じ頃、出家をして修行に専念していた忠こそは、全国の神社に経を奉納しようと、春日神社を訪れていました。夕暮れ時、琴の音が聞こえて音の方へ向かう
時は遡り、嵯峨帝の御世、右大臣橘千蔭は、一世の源氏と結婚して忠こそが生まれました。忠こそが5歳になった年、継母にいじめられることがないように、という遺言を残して母が亡くなりました。 同じ頃、左大臣源忠経も亡くなりました。妻の「一条の北の方」は未亡人となりましたが、親子ほど歳の離れた橘千蔭に懸想文を送り、恋が成就するよう、あらゆる祈祷を行います。 千蔭は、左大臣の妻を無下にもできず、一条へ通い始めます。しかし、亡き妻の事が忘れられず、次第に足は途絶えがちになります
宮仕えをはじめた仲忠は、源正頼の息子である仲澄と仲良くなり、正頼邸に出入りするようになりました。何度も訪れるうちに、あて宮に仕える侍女と親しくなり、和歌をあて宮に渡してもらうように依頼します。 10月になり、東宮はあて宮の入内を源正頼に要請します。正頼は、妻の大宮や、長女の仁寿殿の女御(朱雀帝の女御)に、あて宮入内について相談します。大宮は、すでに東宮に入内している女君が大勢いるため、あて宮が東宮の寵愛を受けられず、つらい思いをするのではないかと心配しますが、仁寿殿の
源正頼は、嵯峨院の娘「大宮」と、太政大臣の一人娘「大殿の上」と結婚し、12人の男君と14人の女君をもうけました。男君たちは高い官職につき、女君たちは朱雀帝や皇族、有力貴族らと結婚。正頼は、帝以外の婿たちを巨大な三条院に住まわせます。 正頼の九女「あて宮」は、正頼の娘の中でも特に美しく成長しました。12歳になり裳着をすませると、多くの男たちからの求婚が始まります。 一番最初にあて宮へ歌を送ったのは、2人の兄があて宮の姉と結婚をしている源実忠でした。実忠は、あて宮へ
俊蔭の死後、俊蔭の娘は財産もなく、亡くなった乳母に仕えていた従者だけが娘の世話をしていました。屋敷は誰も住んでいないと思われて寝殿を残して壊され、雑草が野原のように屋敷を埋めました。俊蔭の娘は一人で歌を詠みます。 8月のある日、太政大臣の一行が賀茂神社に参詣する途中、太政大臣の若小君(藤原兼雅)は、荒れた屋敷の中にいる俊蔭の娘を見ました。参詣の帰り道、若小君は俊蔭の娘と契りを交わします。 若小君の父の太政大臣は、若小君をこの上なく可愛がっており、若小君がいなくな
遣唐使船に乗って海を出てから23年後、俊蔭は日本に帰国しました。既に両親は他界し、3年間喪に服した後、東宮の学士となりました。そのうちに、一世の源氏を妻に迎え、娘が誕生します。 娘が4歳になると、波斯国から持ち帰った琴を使って、奏法の伝授をはじめます。伝授に使わない琴のうち、2つの秘琴は誰にも知らせず自宅に置き、残りの琴は嵯峨帝や東宮(後の朱雀帝)、左大臣源忠常、右大臣橘千蔭らに献上しました。 琴を献上した際、帝の御前で俊蔭が琴を弾くと、内裏の瓦が砕け、6月なの
清原俊蔭は、幼い時から学問の才を認められ、16歳で遣唐使に選ばれました。唐に渡る途中、船が難破し、波斯国(はしこく・ペルシャ(今のイラン辺り))に漂流します。ここで、3人の琴(きん)を弾く人に出会い、琴の奏法を習い取ります。 ※琴(きん)は、中国古代の弦楽器で、琴柱がなく7本の弦を張ったものです。日本には奈良時代ごろ伝わったとされますが、平安時代中期に廃れてしまいました。 3年後、俊蔭は琴を作ろうと、材料となる木を求めてさらに西へ向かいます。阿修羅が守る山に着くと
うつほ物語は、全20巻から成りますが、巻の順番と時系列が一致していないなど、読みにくい所があります。これに関しては、色々な考察がされていますが、ここでは分かりやすくするため、全20巻の内容を3つに分けて、概ね時系列に沿ってご紹介していきます。 ・俊蔭の琴の伝授(巻1) ・あて宮求婚譚(巻2から巻10) ・続 俊蔭の琴の伝授(巻11から巻20) 俊陰の琴の伝授(巻1) ●巻1『俊陰』 遣唐使として海を渡った俊蔭は、天人が作った琴と奏法を持ち帰り、娘に伝授します。 俊蔭の死
【あらすじ】 遣唐使として海を渡った俊蔭は、仙人たちから楽器の琴とその奏法を伝授されました。それらは俊蔭の娘、さらに孫の仲忠へと引き継がれていきます。 仲忠が成人する頃、大勢の貴族が左大将正頼の娘 あて宮へ求婚します。仲忠も有力候補者でしたが、あて宮は春宮へ入内します。 仲忠は帝の娘と結婚し、いぬ宮が誕生します。俊蔭が持ち帰った琴と奏法はいぬ宮へ引き継がれて物語が幕引きとなります。 【成立】 平安時代中期 10世紀ころの作品で、日本最古の現存する長編物語です