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うつほ物語『俊蔭』あらすじ3

 俊蔭の死後、俊蔭の娘は財産もなく、亡くなった乳母に仕えていた従者だけが娘の世話をしていました。屋敷は誰も住んでいないと思われて寝殿を残して壊され、雑草が野原のように屋敷を埋めました。俊蔭の娘は一人で歌を詠みます。

わび人は月日の数ぞ知られける明け暮れ一人空を眺めて
(誰も訪れない貧しく辛い月日のことが心から消えません。一日中ただ一人で空を眺めながら。)


 8月のある日、太政大臣の一行が賀茂神社に参詣する途中、太政大臣の若小君(藤原兼雅)は、荒れた屋敷の中にいる俊蔭の娘を見ました。参詣の帰り道、若小君は俊蔭の娘と契りを交わします。

 若小君の父の太政大臣は、若小君をこの上なく可愛がっており、若小君がいなくなったことに大騒ぎします。若小君は家に連れ戻され、翌日以降、太政大臣は若小君を家に閉じ込めました。

 俊蔭の娘は、再び若小君に会うことはなく、男の子(仲忠)を出産しました。仲忠は5歳になると、不思議な力で魚を釣ったり、山中の芋や実を採ったりして、母を養いました。そのうち都にいることを不便に思い、仲忠は熊から巨木のうつほ(空洞)を譲り受け、母と一緒に移り住みました。

 山中で暮らしながら、俊蔭の娘は琴の奏法を仲忠に伝授します。仲忠は母に勝る技量を身につけ、光り輝くように成長しました。

 仲忠が12歳になったある日、東国から武士がやってきて親子が住む山を占拠します。俊蔭の娘は、今こそ俊蔭が遺言で残した、災いが極まった時だと思い、秘琴の「南風」を掻き鳴らしました。すると山が揺れて周りの木が倒れ、武士達が崩れた山に埋まりました。俊蔭の娘は、そのまましばらく琴を掻き鳴らし続けました。

 その日、藤原兼雅は、帝の御幸に従って北山に来ていました。琴の音色を辿って山中へわけ入ると、そこにはうつほで暮らす俊蔭の娘と子がいました。

 兼雅は、俊蔭の娘と仲忠を都に連れ帰り、三条の屋敷に2人を住まわせます。仲忠は、学問や様々な楽器を身に付けて、16歳で元服しました。宮仕えをはじめると、たちまちに評判となり、帝や東宮のお傍にお仕えすることとなるのでした。

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