うつほ物語『忠こそ』
時は遡り、嵯峨帝の御世、右大臣橘千蔭は、一世の源氏と結婚して忠こそが生まれました。忠こそが5歳になった年、継母にいじめられることがないように、という遺言を残して母が亡くなりました。
同じ頃、左大臣源忠経も亡くなりました。妻の「一条の北の方」は未亡人となりましたが、親子ほど歳の離れた橘千蔭に懸想文を送り、恋が成就するよう、あらゆる祈祷を行います。
千蔭は、左大臣の妻を無下にもできず、一条へ通い始めます。しかし、亡き妻の事が忘れられず、次第に足は途絶えがちになります。千蔭が訪れない事に苛立つ一条の北の方は、忠こそに恋をしますが、取り合わない忠こそに腹を立てます。
そこで一条の北の方は、千蔭と忠こその仲を引き裂こうと画策します。千蔭が代々受け継いで大切にしている石帯を盗み、「忠こそが売り払った」と言いながら千蔭に売り付けるように仕向けたり、千蔭が謀反を企てていると忠こそが帝に話したという嘘の話を千蔭に伝えたりしました。一条の北の方の策にはまった千蔭は、忠こそに疑いの目を向けてしまいます。
父に疎まれてしまったと思った忠こそは、世を捨てて出家をすることを考えます。家を出る前に、千蔭が俊蔭から譲り受けた琴をかき鳴らし、和歌を書き付けました。
忠こそは鞍馬の修験者について家を出て、出家しました。父の千蔭は一条の北の方の罠であったことに気づき、一条の北の方と縁を切ります。長年、千蔭を繋ぎ止めようととして大金を使っていた一条の北の方は、ついに零落し、夫の左大臣が俊蔭から譲り受けた琴も売り払いました。
千蔭は、忠こそが残した俊蔭の琴に書き付けられた和歌を見て悲しみの涙を流します。この琴で仏を作ろうと琴を壊そうとしますが、琴は一切の疵もつきません。雲が辺り一面を覆い、雨が降り、雷が鳴る中で、琴は空へ巻き上げられていきました。