lumikka

フィンランドでデザインを学んだ2人によるデザインユニット。「新たなかたちを創ること」と「今あるかたちに視点を与えること」のふたつを軸に、ヴィンテージショップの運営とデザイン活動を行なっています。

lumikka

フィンランドでデザインを学んだ2人によるデザインユニット。「新たなかたちを創ること」と「今あるかたちに視点を与えること」のふたつを軸に、ヴィンテージショップの運営とデザイン活動を行なっています。

マガジン

  • lumikka original|フィンランドコラム

    lumikkaがお届けするコラムシリーズ。雪の結晶のような小さな視点から日常を見つめ、そこで発見した美しき風景や思考をお届けします。

  • リサーチ|フィンランドデザイン

    lumikkaによるリサーチをまとめています。私たちのショップで取り扱っているARABIAやIittalaのヴィンテージアイテムを中心に、情報と写真のアーカイブを行なっています。

  • LAPUAN KANKURIT|フィンランドコラム

    フィンランドのテキスタイルブランドLAPUAN KANKURITさんのnoteにて、「Design&Art」シリーズを寄稿しています。写真と言葉による新たな視点をお届けします。

最近の記事

夜と夢

夜、夢を見ている時、それが「夢を見ている」という現実か、「夢」という幻想であるのか分からなくなることがあります。その世界を見ているのか、或いはその世界の中に生きているのか。夢は現実なのか、夢は結局夢なのか。 夜、雪の積もる針葉樹の森を歩いたことはあるでしょうか。深い闇が空の青さを、深い雪が街の気配の一切を、消し去ってしまう。そのような孤独を伴うの夜の森は、人々を夢の世界へと誘います。 人が「夜」に生きるようになったのはいつからでしょう。街灯も、街の明かりも存在しない太古の

    • 雪と空虚

      ある雪の日のことでした。 外の景色は浮世絵のように細く白い線が重なっていて、開けた窓から入り込むぴんと冷たい空気は部屋の温かな空気と、そして身体の温かさと混ざり合うのを感じていました。まだ夜の遠い、昼下がりのことだったと思います。 何月のことだったか、実際のところはよく覚えていません。冬のような秋だった気がしますが、冬がまだ残る春だったかもしれません。数年前のヘルシンキでのことです。 雪の日には、やらなければならないことがいくつもあります。ひとつは、天を見上げて上昇する

      • ボヘミアガラスの歴史

        2024年の夏、ガラスの歴史をさらに深く知るためにチェコのヤブロネツとヴェネチアのムラーノ島を訪れました。どちらも、長い歴史と伝統を持つガラス工芸の町で、ヤブロネツではボヘミアガラスが、ムラーノ島ではヴェネチアガラスがつくられています。 私たちはこれまで、フィンランドガラスのリサーチを継続的に行ってきました。フィンランドは戦後のガラスデザインにおいて世界的な成功を収めましたが、その一方で「ガラス」そのものの歴史調査は他の地域に比べると浅く、考古学的な視点からフィンランドガラ

        • 秋の島

          ヘルシンキには、「羊の島」があります。名ばかりではなく、夏になるとほんとうに羊がやってくるのです。 前回のコラムでは、ヘルシンキの中心地からから北東に抜ける6番線のトラムの秋の車窓をお届けしました。その終着点にあるのがイッタラ&アラビア デザインセンターで、さらにその少し先にあるのがLammassaari/ランマサーリ、フィンランド語で羊の島です。 トラムの終着点からさらに先へ。秋の小道を潜り抜けて、人びとの行方に身を任せていると大きな橋があらわれます。犬の散歩をするご近

        マガジン

        • lumikka original|フィンランドコラム
          28本
        • リサーチ|フィンランドデザイン
          4本
        • LAPUAN KANKURIT|フィンランドコラム
          24本

        記事

          秋の街

          秋の風がそよぐ美しい季節がはじまろうとしています。 実はこの言葉、過去に書いたとある文章の冒頭なのですが、いま、また同じことを思っています。 「時間」が線のように連続しているのか、あるいは点として離散しているのか……と、大きすぎる問いが頭を巡ることがよくあります。しかし、思考は宇宙の果てまでを巡ったのちに、結局いつも目の前の現実/現象(の確かさ)へと行き着いて、しまいには何を問うていたのかすら忘れてしまうのです。 人が、同じ季節に同じことを思うのだとしたら、人の生とは、

          水の惑星

          あの小さな月が、地球の海を引っ張っているだなんて。そう宇宙の不思議に想像を巡らすことがある。 月まで、38万キロメートル。それが“近い”のか“遠い”のかどうかは分からないけれど、月と地球がそれほどの距離のなかで繋がりあっているということ。それは、この孤独な宇宙の小さな希望だと思う。 地球と月——つまり水の惑星とそれをまわる小さな衛星のことを考えていると、日本とフィンランドの距離などちっぽけに思えてくる。結局は、ひとつ青い球体の西と東でしかないのだから。 波に目を凝らす。

          水の惑星

          秋霧の湖

          少し冷え込んだ秋の朝。 霧が森を、湖を、包み込む。 フィンランドの、とある小さな田舎町。 空気は澄んでいて、空はもう十分に青かった。 遠くの景色はおぼろげで、歩けど、歩けど、見ているその「景色」には近づけていない気がする。霧は大きな波のように流動しているけれど、その行き先はわからない。 長い一本道を進んで、湖まで。 湖の表面を滑るように、霧が流れてゆく。 畦道を通って、湖畔まで歩く。 着々と昇る太陽は地と水と空気をあたためて、わたがしのような霧を溶かしてゆく。 あか

          秋霧の湖

          秋霧の森

          フィンランドの秋の森。 秋霧に包まれる小さな町。 ある日の、早い朝のこと。 朝、窓の外が白いとき、心は弾む。 春の霞と夏の雨、秋の霧と冬の雪。 季節は、窓を介してやってくる。 扉を開けて外に出ると、湿った空気が肌に触れた。視界はぼんやりとしていて、まだ少し眠たい目にはちょうどよい。夜ほど暗くはなかったけれど、昼ほど明るいわけでもない。すべてが曖昧で、抽象的な世界に迷い込んだようだった。 白い霧は視界の奥行きをぼかして、見ている対象は、いっそうはっきりと知覚される。風景

          秋霧の森

          森の彷徨い

          いつかの秋、フィンランドの森を彷徨った。 美しい泉のある森で、静かに雨が降っていた。 優しい風が、小さな葉をゆらしていた。 「ぶらぶらする」という日本語と、「Blah Blah Blah」という英語の関連について、深く考えを巡らすことがある。前者はあてもなく道を彷徨う様子を、後者は「◯◯など」というある種の曖昧さを示すときに使われる言葉だ。 辞書的には、もちろん両者の意味は異なっている。けれど、音は似ているし、その(根源的な)意味も、ちょっと似ている気がしてならない。

          森の彷徨い

          トゥルクの夏

          季節の巡りを感じるとき、 そこには祝福と空虚がともに存在している。 季節への祝福は、 人が自然と生きている証であり、 過ぎし時間への空虚、 それはノスタルジーである。 ふと、思い出したトゥルクの夏。 それは、たしかに夏であった。 夏の風が、吹いていた。 ヘルシンキと比べると、トゥルクの街はずいぶんと明るく、鮮やかに感じられた。地理的にも歴史的にもふたつの街には違いがあるのだから、その新鮮さはある意味当然とも言えるけれど、この街は、なんだか明るかった。 「トゥルクがあ

          トゥルクの夏

          カモのピクニック

          カモの親子のピクニック。 古都、フィレンツェの泉にて。 自由気ままに旅する子ガモ。 水面の模様を辿るように、雲の上を漂うように。 どこ、 どこへ、 どこまで、 どこまでも。 親ガモ、発見。 にぎやかな、ピクニック。 あざやかな、ピクニック。 子ガモ、ふたたび旅に出る。 親ガモ、すいすいぷかぷかと。 子ガモ、発見。 あちらへ、

          カモのピクニック

          フィレンツェの誘惑

          フィレンツェの街が、誘惑する。 街ゆく人を、旅人たちを。 道が、光が、色が、水が、 街ゆく人にささやきかける。 初夏のフィレンツェ、街歩き。 うつくしい街には、共通点がある。 路地と広場、坂と丘だ。 路地に差し込む光は人びとを広場へ誘導し、上り坂は街を見下ろす丘へとつながる。「街」という生命体をさまざまな視点から眺めることは散歩の醍醐味であり、その体験を可能とする街は、うつくしいと思う。 街の誘惑、細い路地。 光、そして闇。 闇に差し込む光は人びとを誘惑し、次なる

          フィレンツェの誘惑

          雨のヴェネチア

          ヴェネチアに雨がふる。 水の上の街がかすむ。 空の青さも、海の青さも、雨粒に滲んで曖昧だ。海はゆれて、波のかけらが船の窓に打ち付けられる。 ガラス越しの、水の世界。 雨に沈むサン・ミケーレ島。 ここは、島全体が共同墓地。 アルノルト・ベックリンが描いた、『死の島』という絵がある。ヴェネチアの海に浮かぶサン・ミケーレ島も、この絵に通じる美しい静寂と孤独をまとっていた。 (ちなみにこの『死の島』は、スタジオジブリ作品の『風立ちぬ』の作中で飾られていたり、『君たちはどう生

          雨のヴェネチア

          空港の朝

          空港の朝は、なんだか心地がよい。 するどい光は大きな空間を明るさで満たし、忙しない朝の人びとはパンとコーヒーによって満たされる。 それはきっと、平和な世界だ。 早すぎるフライトや、持て余された時間が、かえって朝のひとときを豊かにする。偶然が出会いを導いて、開かれた空間があらゆる人びとを包み込む。 歩く人、休む人、食べる人、迷う人。 眠たい気持ち、晴れやかな気持ち。 夢見心地や上の空。

          空港の朝

          夜間飛行

          北へと向かう、白い翼。 星空の下、眠る街の上。 東京から、北極経由、ヘルシンキ行き。 夢現の夜間飛行をお届けします。 5月の東京、雨の夜。 夜から始まる旅は静かで好きだ。窓を染める大きな闇が、陸を離れる不安や旅への高揚を鎮めてくれて、日常は、闇夜の中でなめらかに旅へと移り変わってゆく。 濡れた窓から溢れる光はカメラを通って眼に映る。いくつものガラスの膜が、風景を静かに分解してゆく。 昼夜を隔てる境界線。 夜の終わりを追いかけて。 遠ざかる街の光、星屑のように瞬く光

          夜間飛行

          旅をするということ

          lumikka shop及びlumikkaとしての活動は、4月15日に2周年を迎えました。ここまで様々なかたちで活動を支えてくださった皆さまへ、心より感謝を申し上げます。 「2周年」と言いつつも、活動のはじまりをどこまで遡ればよいのか、実際のところ定かではありません。それは、フィンランドとの関わりや、写真、執筆、企画、デザインなど一連の活動が予定調和にはじめられたわけではなく、いくつもの予期せぬ出会いや偶発性を含んでいるためです。 ただ、活動の大きなきっかけは旅の中にあっ

          旅をするということ