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夜と夢




夜、夢を見ている時、それが「夢を見ている」という現実か、「夢」という幻想であるのか分からなくなることがあります。その世界を見ているのか、或いはその世界の中に生きているのか。夢は現実なのか、夢は結局夢なのか。


夜、雪の積もる針葉樹の森を歩いたことはあるでしょうか。深い闇が空の青さを、深い雪が街の気配の一切を、消し去ってしまう。そのような孤独を伴うの夜の森は、人々を夢の世界へと誘います。



人が「夜」に生きるようになったのはいつからでしょう。街灯も、街の明かりも存在しない太古の世界に、夜を知覚する術も伝える術も無かったはずです。夜は昼の対極としてではなく、失われた時間の領域として、或いは世界の空虚として、存在していたのではないかと思うのです。


人が夜に生きるようになるにつれて、人は夢の中を生きるようにもなりました。夜、詩人は寝ることを忘れて言葉の海を漂い、旅人は静寂の時を彷徨います。夜の眠りの中で眺めていたはずの“夢”は現実と重なり、時に夢現の境に立ちながら、彼らは独り世界に佇むのです。



夢を思い出そうとするように、
遠くの世界を想像すること。


夢の続きを辿るように、
誰かの残した足跡を辿ること。



光に希望を見出すこと。


光こそが希望であるということ。



はじまりも終わりもない夢の世界を想像ながら、夜の中を歩いてゆく。





古い記憶が
僕の夢を織った

それで
夢は深い所へおちて行った

ながい間
雨は降り続き

小さな蹉跌にも
僕はやさしい言葉をもとめている

谷川俊太郎 『夢』
1950. 4. 25






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