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雪と空虚




ある雪の日のことでした。


外の景色は浮世絵のように細く白い線が重なっていて、開けた窓から入り込むぴんと冷たい空気は部屋の温かな空気と、そして身体の温かさと混ざり合うのを感じていました。まだ夜の遠い、昼下がりのことだったと思います。

何月のことだったか、実際のところはよく覚えていません。冬のような秋だった気がしますが、冬がまだ残る春だったかもしれません。数年前のヘルシンキでのことです。


雪の日には、やらなければならないことがいくつもあります。ひとつは、天を見上げて上昇する感覚を味わう(エレベーターのように)こと。もうひとつは、外へ散歩に出かけること。

他にも、雪の粉度合いを素手で確かめること、街のどこかに雪だるま(ミニ)をこっそりつくること、など雪の日の業務は尽きません。

ヘルシンキに住んでいた頃は家の近くにちょうどよい散歩道があったので、雨や雪、波や空など ——つまり天気を眺めるためによく散歩をしていました。教会とお墓のそばを通り抜け、ヒエタニエミビーチへと続く片道30分の散歩道です。



「溶け合うこと」に内包される生と死について、考えを巡らせてみたことがあるでしょうか。ひとつになるということが同時に何かの消失を意味している、ある種のパラドックスについてです。


煙は空気に、雪は土に、雨は海に、消えてゆく。


雪かみぞれか、あるいはその中間のようなものが海に飲み込まれてゆくのを眺めながら歩いていると、ヒエタニエミビーチに辿り着きました。夏は朝も晩も多くの人で賑わうこのビーチも、この日は大きな不在に包まれています。


先客がいたようです





降り積もった白い雪が、地と海の境を描いています。


降り積もった白い雪に雨粒が落ち、穴を開けています。




雪にはじまり雨に終わる、ある日の散歩。昼と夜の境には美しい黄昏の時間が流れるように、何かと何かの境には、美しい空虚と不在が漂っています。


空気に溶ける、煙。
土に溶ける、雪。
海に溶ける、雨。


雪は雨へと変わり、昼は夜へ向かって進んでゆく。









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