金子佳司『哲学の起源と変貌』(北樹出版、2022年)を読んで。
哲学とは何か。それはピロソピアー、すなわち知を愛することである。しかしその知とはいったいどのような内実を伴っており、何をめぐってのことかと問われれば、誰しも立ち止まらずにはいられないのではないだろうか。本書はそのような哲学そのものの始まりを、私たちにとって身近な事象を手掛かりに解きほぐしていくものである。本書を貫く問いは、私たちはいったい何者であるかという問いである。それはさらに、自己と世界についての認識とに分かたれる。私たちはいかにして世界を理解しているのか、その世界観そのものを問うことが哲学の一端であることがうかがえよう。
本書の目次を一見して、ともすればお馴染みの哲学史を想像するかもしれないが、それは違う。先に述べたように本書は自己とは何かという問いに貫かれており、私たちが世界をどのように認識しているのかを、私たちの素朴な実感に寄り添って一つひとつ確かめていく本なのである。その語り口はあたかも哲学入門の講義を受けているかのようである。哲学を理解するには哲学史についての理解が必要とされることはたびたび指摘される。しかし本書の叙述を通して、私たちが当たり前と認識している世界観へと至るには、ある数奇な道を経て辿り着いていることを知らされるであろう。哲学の理解に哲学史が必要なのではなく、哲学史を振り返ることそのものが哲学と深く結びついているのである。
一昔前まで哲学史はアリストテレスが終わると一気にデカルトまで飛び、中世はすっ飛ばしてしまうものであった。一見すると本書もそのように思われるかもしれない。しかし本書を読み通すと気づかれるように、本書の問いは現代を生きる私たちの世界観を問い返し、あるいは私たちが本来持っているはずの何かをその途上で見失ってしまったのではないかと問いかけているのである。本書は明確にキリスト教を思想として取り上げることを避けてはいるものの、従来の哲学史では素通りされるか簡潔に済まされるであろうエピクロスとストア派についての叙述が充実していることに特色がある。また、研究の世界では当たり前とされていながらもなかなか解説されることのない主観subjectと客観objectの逆転現象についても詳しく述べられている。
私たちはともすれば難しいことを有難がったりしないだろうか。しかし本書によって知らされるのは、哲学者たちの問いそのものがいかに地に足の着いたものであり、素朴な疑問に答えようとするものであるかということである。後半部で扱われる現代に及ぶ世界観を決定づけた近代の哲学者たちの思想の叙述は、私たちがどのような前提に基づいて世界を認識しているのかを気づかせてくれるであろう。教養として大きな見取り図を得るためにもぜひ手に取ってもらいたい一冊である。