のぶたか

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最近の記事

ポッドキャスト、始めました。

 ローマ教皇が来日する前の年くらいに、ツイッターで「毎日数分でもいいから聖書を読むように」という呼びかけをされたことがありました。ちょうどそのころツイッターでスペース機能が公開されたこともあり、夜の9時半から30分ほど新約聖書を冒頭から口語訳とフランシスコ会訳とで読み始めました。口語訳で一周し、ルビがあるほうが読みやすいなと思いフランシスコ会訳の中型を朗読用に購入し、二周ほどしたかと思います。毎晩9時半に時間を確保するのがなかなか大変だったのですがよく続けられたなと思います。

    • ニコマコス倫理学の翻訳について

       大学の卒論でニューマンを扱って以来、アリストテレスのニコマコス倫理学から離れられなくなっている。翻訳の良し悪しをうんぬんしたりするつもりはないのだが、大学の時から感じている翻訳の傾向について少しまとめておきたい。ニコマコス倫理学は倫理学の始まりの書ともいえる著作であり、現代ではG.E.M.アンスコムが行為論で取り上げたこともあり、未だ現役の古典である。ジョン・ヘンリー・ニューマンは『賛同の文法』という晩年の哲学的著作の中で推断的直観Illative Senseという判断力に

      • 稲垣良典『信仰と理性』(レグルス文庫、1979年)を読んで。

         信仰とは何か。信じるとはどういうことか。私たちは信じることと考えることがさも対立するかのような世界観の中で生きているかもしれない。しかし果たしてそれは自明なことなのであろうかというのが本書の問いかけである。この問題は「信仰と理性」というテーマで繰り返し取り上げられ、時に「科学と宗教」などの対比の内で語られることもある。もちろん「科学と宗教」という対比の場合は「理性と非理性」という暗黙の了解が含まれているのだが、その自明とされている前提をこそ改めて問うべきなのである。近年では

        • 古典ギリシア語学習のテクストについて

           古典ギリシア語を学んでいる方はいつかプラトンを読んでみたい、新約聖書を読んでみたいといったモチベーションを胸に抱いていることと思う。現在はタフツ大学が公開しているウェブサイトのペルセウスをはじめ、iPhoneユーザーであればシカゴ大学が公開しているLogeionという強力な辞書ツールやオフラインでホメロスやプラトンの主要著作の原文と語形分析を含むattikosというアプリもある。iPhoneユーザーでなくとも、新約聖書についてのアプリは豊富に用意されており、いつか読んでみた

          アリストテレス/三浦洋訳『政治学(上・下)』(光文社古典新訳文庫、2023年)を読んで。

           アリストテレスの政治学は言わずと知れた政治哲学の古典である。トマス・アクィナスの神学大全の人間論においてこの著作が頻繁に言及されており、トマスが豊かな洞察を得ていた書物であることがわかる。政治思想、政治理論を学ぶ上で重要な著作でありながらも、日本の読者が本書を読むには時々再版される岩波文庫の山本光雄訳か西洋古典叢書の牛田徳子訳を読むしかなかった。岩波文庫の山本訳は品切れが続いており、牛田訳は単行本のため持ち歩きには適さない。本書は光文社古典新訳文庫で詩学を訳した訳者による待

          アリストテレス/三浦洋訳『政治学(上・下)』(光文社古典新訳文庫、2023年)を読んで。

          金子佳司『哲学の起源と変貌』(北樹出版、2022年)を読んで。

           哲学とは何か。それはピロソピアー、すなわち知を愛することである。しかしその知とはいったいどのような内実を伴っており、何をめぐってのことかと問われれば、誰しも立ち止まらずにはいられないのではないだろうか。本書はそのような哲学そのものの始まりを、私たちにとって身近な事象を手掛かりに解きほぐしていくものである。本書を貫く問いは、私たちはいったい何者であるかという問いである。それはさらに、自己と世界についての認識とに分かたれる。私たちはいかにして世界を理解しているのか、その世界観そ

          金子佳司『哲学の起源と変貌』(北樹出版、2022年)を読んで。

          自堕落という言葉がある。従来、放埒と訳されてきたアコラシアが神埼訳のニコマコス倫理学ではそう訳され、理性的存在者の徳の考察から外されている。プラトンのゴルギアスに登場するカリクレスは自堕落の典型とも言えるもので、相手にしなかったことを思えば、プラトンにはある種の優しさを感じる。

          自堕落という言葉がある。従来、放埒と訳されてきたアコラシアが神埼訳のニコマコス倫理学ではそう訳され、理性的存在者の徳の考察から外されている。プラトンのゴルギアスに登場するカリクレスは自堕落の典型とも言えるもので、相手にしなかったことを思えば、プラトンにはある種の優しさを感じる。

          ソクラテスにとって、あるいはプラトンにとってのノモイとは何だろうか。「ひととして」といった次元からすればその内実は自然法と重なるように思うものの、どうもノモイという言葉はストア派にもアリストテレスにも馴染まない。やはり「お国柄」なのだろうか。一つひとつ自分なりに確かめていきたい。

          ソクラテスにとって、あるいはプラトンにとってのノモイとは何だろうか。「ひととして」といった次元からすればその内実は自然法と重なるように思うものの、どうもノモイという言葉はストア派にもアリストテレスにも馴染まない。やはり「お国柄」なのだろうか。一つひとつ自分なりに確かめていきたい。

          山我哲雄『キリスト教入門』(岩波ジュニア新書、2014年)を読んで。

           キリスト教とは一体何なのか。教会とは一体何なのか。そう思ったことはないだろうか。私たちが日頃ニュースなどで目にするキリスト教の理解に違和感を抱いたことはないだろうか。キリスト教の教えや思想についての入門書は山本芳久氏の『キリスト教の核心をよむ』や『愛の思想史』がある。しかし私たちが常日頃接する「これってどういうことなの」という疑問に答えるには別のアプローチが必要である。本書は教養としてのキリスト教理解を謳うがごとく、私たちが日頃触れるところのキリスト教のさまざまな疑問に答え

          山我哲雄『キリスト教入門』(岩波ジュニア新書、2014年)を読んで。

          稲垣良典さんの『信仰と理性』、名著なのでどこかで復刊するか、オンデマンドで出してほしい。

          稲垣良典さんの『信仰と理性』、名著なのでどこかで復刊するか、オンデマンドで出してほしい。

          J.-P. トレル/保井亮人訳『トマス・アクィナス 霊性の教師』(知泉学術叢書、2019年)を読んで。

           本書はトマス・アクィナス研究において言わずと知れたトマス論の決定版である。アンソニー・ケニーの中世哲学史を始め、ファーガス・カーのトマス入門、それからバーナード・マッギンの神学大全入門でトマスの伝記として真っ先に言及されているのがジャン・ピエール・トレルによる上下二巻のトマス研究なのである。トマス・アクィナス研究において絶対的な支持を誇るトレルのトマス論の上巻はトマス伝の決定版として、現在の研究の集大成を読者に惜しげもなく提示してくれるものである。とはいえ上巻の内容は、すで

          J.-P. トレル/保井亮人訳『トマス・アクィナス 霊性の教師』(知泉学術叢書、2019年)を読んで。

          勝田茅生『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』(NHK出版、2024年)を読んで。

           本書は類書を見ないフランクルについての本である。フランクル伝でも、フランクル論でもなく、フランクルの生涯の出来事をテーマごとに追いかけながらその問いかけをも浮き彫りにするという意味で、今までに類書のないフランクルについての本なのである。フランクルはいくつかの本で自らを多く語っていることもあり、読者にとって近づき方は豊富にある。しかしどこから入ろうとも、なんらかの難しさを感じるということがあるかもしれない。もしそういった思いを抱いた人がいるなら、本書はうってつけの本である。

          勝田茅生『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』(NHK出版、2024年)を読んで。

          森進一『ホメロス物語』(岩波ジュニア新書、1984年)を読んで。

           本書はホメロスに興味を持つすべての読者に真っ先に読んでほしい一冊である。「怒りを歌え女神よ、ペーレウスの子アキレウスの」に始まるイリアス、そしてオデュッセウスの冒険譚は、プラトンのみならず現代哲学においても多々引き合いに出される大古典である。イリアスとオデュッセイアのどちらを先に読むべきか、それは本書からも明らかなようにイリアスからである。オデュッセイアについての入門書は久保正彰氏や西村賀子氏のものがあるものの、イリアスについては案外少ない。そういった中でイリアス研究への導

          森進一『ホメロス物語』(岩波ジュニア新書、1984年)を読んで。

          書見台の新定番?

           書見台探しに終止符を打つ商品が出たかもしれない。それはfromseedというメーカーのDr. Standである。書見台が出るとどうしても気になってしまい、また買ったのかと自分でも呆れていた。しばらく手持ちのいろいろな書見台と比べていて、ひょっとしたらこれは良いのかもしれないと思ったのでご紹介したいと思います。出たばかりの時にこれは良いとこどりの書見台が出たなと期待していたのですが、ちょっと使用感に気になる部分があり、自分なりに納得できるまで温めていました。  まずはどこが良

          書見台の新定番?

          古田徹也『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』』(角川選書、2019年)を読んで。

           本書は20世紀最大の哲学者に数えられるウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の入門書である。従来『論理哲学論考』の入門書は本書でもたびたび言及されている野矢茂樹氏の『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』くらいであった。いままで多数の分析哲学入門はあったものの、野矢茂樹氏の論考論以上に『論理哲学論考』への手堅い入門書はなく、その後に論考を精読する読者にとって得難い研究の手引きとなる内容をも蔵している。とはいえ野矢氏の論考論は『論理哲学論考』を岩波文庫で読み、それを理解

          古田徹也『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』』(角川選書、2019年)を読んで。

          プラトン/朴一功・西尾浩二訳『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』(京都大学学術出版会〔西洋古典叢書〕、2017年)を読んで。

           プラトンの「ソクラテスの弁明」にはいくつもの翻訳がある。ところが「エウテュプロン」となるとその数は限られている。一世代前のプラトン全集の校訂者バーネットによる「エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン」を含むプラトン選集は、最初に読む古典ギリシア語原典の選集として長年親しまれてきた。その三作品を収録した邦訳はといえば、比較的手に入れやすいものとしては角川文庫の山本光雄訳と岩波プラトン全集の第一巻しかなかった。本書の刊行を以って、満を持して西洋古典叢書から「エウテュプロン」

          プラトン/朴一功・西尾浩二訳『エウテュプロン/ソクラテスの弁明/クリトン』(京都大学学術出版会〔西洋古典叢書〕、2017年)を読んで。