稲垣良典『信仰と理性』(レグルス文庫、1979年)を読んで。

 信仰とは何か。信じるとはどういうことか。私たちは信じることと考えることがさも対立するかのような世界観の中で生きているかもしれない。しかし果たしてそれは自明なことなのであろうかというのが本書の問いかけである。この問題は「信仰と理性」というテーマで繰り返し取り上げられ、時に「科学と宗教」などの対比の内で語られることもある。もちろん「科学と宗教」という対比の場合は「理性と非理性」という暗黙の了解が含まれているのだが、その自明とされている前提をこそ改めて問うべきなのである。近年ではヨハネ・パウロ二世が『回勅 信仰と理性』において、信仰者のみでなく広く科学主義の世界を生きる私たち一人ひとりにこの問題を深く考えることを促している。本書の著者である稲垣良典氏の『現代カトリシズムの思想』が現代における宗教や神学の意味を改めて問うものであるのに対し、本書は信仰の根本問題を現代的に直截に取り組むもので『現代カトリシズムの思想』の姉妹編を成すものと言えよう。
 信仰とは何か。トマス・アクィナスの信仰論では、それは知性徳の一つであると言われる。本書においてなされるのは、単に教科書的な出来上がった思想の解説ではなく、むしろ神の存在証明などの古典的な議論の一つひとつが如何なる内実を伴っているのかを、現代に通用する言葉で深く端的に掘り下げていくことなのである。私たちが理性的であることと神を把握することにはどのような関わりがあるのかを、類書の見ない明晰な省察を積み重ねていくことで明らかにしている。それも単に思想的な解説ではなく、私たちの実存と関わる仕方で古典的な議論の深みが明らかにされていくのである。中でも印象的なのは、本書の議論全体の基調を成すトマス・アクィナスの信仰論のみでなく、なかなか解説だけではつかみどころのないアンセルムスの神存在証明や、膨大すぎてその著作群を前にたじろいでしまいそうになるアウグスティヌスの根本的視座が、これ以上にないほど凝縮された形で明らかにされていることである。
 本書は著者の仕事全体の根本的視座を明らかにしてくれる最良の中世思想入門である。本書において端的に述べられながら積み重ねられていく省察は、ヴィトゲンシュタインの信仰概念の検討など現代思想との対話から始まり、余人を以ってしては書き得ない「スコラ哲学」の解説、それから先に述べた古典的議論の生き生きとした解説と、ひたすら山場が訪れてくるものである。その議論の中で、のちの『習慣の哲学』や『講義・経験主義と経験』において展開される経験概念の雛形が提示され、近現代にかけて信仰と理性との関わりが如何なる変容を蒙るのかが明らかにされる。本書において描かれるアウグスティヌスの思想がそうであるように、現代を生きる私たちにとって本書の問いかけは容易に汲み尽くされない豊かな省察を蔵している。長らく絶版なのが惜しい。復刊を切に願う。田中美知太郎の『読書と思索』のようにPODでも欲しい一冊。


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