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かなえたい夢 勇気ある行動  日大アメフト部 フェニックス 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 フェニックスなので新しく生まれ変わり蘇るのがストーリーなんだと思います。好々爺として(普通は自分からは言わない)次世代に期待したいと…

禍福は糾える縄の如し

 ある一人の男の悪しき伝統からの勇気あるエスケープのお話しです。

 こんな勇気が定着すると良いなという夢…

 伏線として以下の作品をお楽しみ下さい。
1本化筋の通った人間の美しい生き方…

今話題の

 日本大学アメフト部 フェニックス

にはある思い出があります。滅法強いという思い出と、もう今は他界して久しい1本化筋の通った叔父さんが、大学入学当時に恵まれた体格と競技者としての実績から請われて入部して3ヶ月で退部されたという記憶。

 私には叔父さんは3人居て、結構やんちゃな方の叔父さんの話。

 その叔父さんは身長が190cm超えで架台(がたい)が良いという表現がピッタリする感じでした。そもそも水泳が得意で、部活も水泳を主に選んで居たと記憶しています。その為関節への負担が少なく身体が故障したという話は聞いたことがありません。
 附属校から大学進学時にフェニックスさんから強い勧誘が掛かった様です。まぁアメフトは既に結構人気が有って、花形だったので… 

 入部したものの、練習以外の時間の上下関係が耐え難い程だったらしく、

 例えば先輩が先に灰が溜まっているタバコを差し出すと灰皿をその下に差し出すとといった笑えるお作法等。喫煙も20歳未満は非合法ですから、どういう取扱がなされていたのか。

 昭和の部活の上下関係には慣れていた叔父さんをして限界を遥かに超えていた様です。ある意味では期待値も高くかなりの“シゴキ”も有ったのだと思いますが。はっきり言ってイメージ湧かない…

 その叔父さんでも退部を決意する位なので、私の様な昭和の運動系部活とは無縁の世界に居た人間には想像すら不可能な世界。
 その意味では、吾妹は高校時代昭和の運動系部活のそれこそ花形選手だったので、まだ想像がつくのかも。私の余りの土地勘の無さに呆れられることが多いのですから…

 4月に入部して7月に退部届を出したそうですが、簡単には辞めさせてもらえず、しばしば先輩が翻意(ほんい)を促すべく自宅まで押し掛けて来たそうです。かなり執拗(しつよう)だったので私の祖父母は大いに心配したようです。

 自宅に居ると面倒なので、先輩から逃げるために姉の嫁ぎ先たる我が家に夏休み中に来て居ました。
 その時は時間がたっぷり有ったので、叔父なりの個性を活かす形で色々と私に教えてくれました。まぁ姉にお世話になっているので恩返し…

 例えば、

模型飛行機
 竹ひごを蝋燭で炙って綺麗に曲げて骨組みを作り、薄紙を貼って、輪ゴムを綺麗に連結させてプラスティックのプロペラを回す飛行機を作ったり、

プラモデル
 プラモデルも絶着する各々の面にセメダインを極薄くしかし均一に塗布し、少し息で溶剤を飛ばして若干乾いたところで圧着すると良い等の一寸したコツ

キャッチボール
 カーブ、シュート、フォークと変化球の投げ方を教えてくれました。流石運動系部活で鍛えたのか、簡単に理屈を教えて、手首や指の使い方のポイント、そして全体的な流れと教え方が上手だと子どもながらに思いました。ですから短期間にマスターできたのでした。

 こんな感じで父も母も教えてくれないことばかり。とても新鮮でした。砂漠に水を撒く様に色々吸収したと思っています。その時は私は確か小学校2年生ぐらいだったと記憶しています。少なくとも四谷大塚に補欠試験で合格する前だったので、私も受験勉強とは無縁でたっぷり時間は有りましたので。

 その後の受験勉強も逆手に捉えて楽しみました。
例えば高校以降ではこんな感じ…

 夏休みが終わり熱(ほとぼ)りも冷めて、叔父さんは自宅に戻りました。その後も多少色々有ったようですが何とか収めた様です。

 ということで

 悪しき伝統は嫌って勇気を持って逃げろ

 こんなことが実践できる人が増えると良いなぁという夢を共有したく。実話を通しての次世代へのメッセージしでした。


蛇足
 ロシアから心ある方々が国外に脱出されているのもまた勇気ある行動なのかと。

超蛇足
 育業できない環境に居たら、そのソリューションの1つはそこから逃げ出すこと、と御提案しました。これも思えばこの叔父の所作から学んだことの応用なのだと思います。

超々蛇足
 自由民主党の安倍派さんの政治資金問題で悪しき習慣があるなら派閥から抜け出す勇気が有っても良かったのではないかと…







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