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変わってた。だから手っ取り早いバカではない証明が必要だった。 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 三重苦を甘受してしなやかに生きてきた記録。

【変わっていた】 
 私は、幼い頃から他の人とは大分違うと思っていました。
主なものは、以下。

 ①記憶力が悪い。
 ②理解できないことは苦手。
 ③心が弱い。 

 これらは、克服するには難易度が高く、結局これらに上手く折り合いを着けて生きてきました。

①記憶力が悪い。
 興味ない物は全く覚えられません。特に読み出し時間が長く、身近な人の名前を一日後に思い出したりします。自分自身を客観的に観察すると、正確には書込みはできていて、読み出しが苦手なようです。ぱっと思い出せないと、「暗記なんてくだらない、価値あるのはものの考え方、思考力だ。」と割り切ってしまうところが問題。大学受験の頃にこれに気づいて諦めずに思い出すようにし、かなり改善ましたが、まだ劣っています。

②理解できないことは苦手
 例えば、受験という勉強内容を強いられるプロジェクトが嫌いでした。このゲームに価値を見いだせず…理解できませんでした。
 英語も世界史も日本史も受験でなければ大好きなのですが、入試のためのとなると全く記憶できませんでした。「単に知ってるか知らないかじゃないか。くだらない。」と思ってしまいます。
 右左も苦手です。慣例に依って使い方が決まるのでそれを知らなければどうしようもない。本質的に理解できないものですから苦手です。
(流石に60余年も生きているので、左右の判断が苦手とは悟られない時間で慣例を思い出せるようになりました。しかし今は認知症の発症が心配。(笑))

③心が弱い。 
 小学校2年生の時に祖父の他界という経験をして、とても傷つきやすいことを自覚しました。それ以降は、ともかく虚構のお話から現実まで、傷つきやすいことからは逃げて回っています。
 運と勘を頼って傷つくような事件に巻き込まれないように、しなやかにすり抜けています。請われても、気が進まないものには手を着けません。(大学生時代、心に大傷を負って懲りました。)

 その辺りはこちらもお楽しみ頂ければ幸いです。

 このような三重苦を背負って生きているので、他の人と上手く折り合いを着けるために手っ取り早いバカではない証明がいつも必要でした。

【手っ取り早いバカではない証明】
 幼稚園の頃の分かりやすい証明方法は、運動、歌、工作などともかく頑張ることでした。そしてたまたまビアノを習っていたので、幼稚園で弾いたりしました。これで何とかなりました。
 小学校以降は、学校の試験の点数にこだわりました。また、いつも背伸びをして、上級生を見習ったり大人を見習ったりしました。
 小学生では、学研の科学と学習を自分より高学年のものを読み、初歩のラジオとか無線と実験、鉄道ジャーナルといった雑誌を読みました。
 また、高校生向けのテレビドラマを見て感化され、生徒会活動も徹底的にやりました。
 極めつけは大学受験。誰もが凄いと認める超難関校に絞って勉強し、何とか入学しました。
 就職も理系だったので、基幹産業の超大企業を選びました。

 結局、外側からは上昇志向が強いと見られてしまいますが、自分の三重苦に折り合いを着け、しかも自分がやりたいことしかしなかった結果でしかありません。

 ということで変わっている自分を受け止めて、手っ取り早いバカではない証明をして、世間と折り合いを着けて60余年生きてきたという赤裸々な話でした。

 でも楽しい人生です。

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