海外旅行·海外出張の小ネタ パレスチナ自治区 ガサ レモネードで
イスラエルの大学では、パレスチナの方が教授をされていたりして、和平が進展していることは、何となく感じていましたが···
1990年年代後半、縁があってパレスチナ自治区の方に、お会いする機会が有りました。テルアビブから車で、パレスチナ自治区との国境に向かいました。少し寂れた風景が続いて、国境に到着しました。小さな建物が、イスラエル側とパレスチナ自治区側に建っていて、間は300m程度だったでしょうか、比較的広い舗装路と、こちらも比較的広い舗装された歩道が、ありました。驚いたことに、パレスチナから徒歩で沢山の方々が、イスラエルに入国していました。イスラエルで仕事をするために、毎日出国し、帰国するのだそうです。市民レベルでは、普通に交流があるのだそうです。日本にいると、毎日戦闘を繰り返し、緊張感あふれるイメージでした。しかし、この説明を聞いて、見方が一変しました。
国境を徒歩で通過し、入国手続もスムーズに済み自治区内に車で入ると、風景は一変。舗装路は少なく、街はゴミが散乱し、雑然としていました。ガザの市街地は、活気がなく、まるでゴーストタウンのようでした。15分程度で目的の建物に到着しました。周りの風景からは浮いてしまっている、整然とした高層ビルでした。エントランスホールも広く、イスラエルの高級ホテル並みでした。素敵なエレベーターで上層階に昇ると、1フロア全てが、その方のお部屋でした。大理石調の床の、広々とした部屋に案内されました。当時日本は、パレスチナ自治区の学校にパソコンを提供するなど、地道な支援活度をしていたそうです。そのようなお話を伺い、和平進展や国際的社会の支援に、関心していました。
気温が少し高めでした。給仕の方からレモネードを奨められ、流石にミネラルウオーターだろうと信じ、頂きました。その直後、激しい腹痛。ですが、平然とトイレの場所を伺い駆け込むと、いきなり汚い部屋に。剥き出しのコンクリートに、床は穴だらけ。この落差には驚きました。トイレットペーパーも有りませんでした。海外ではよくあることです。ポケットティッシュは、いつも余分に持っていましたので、事なきを得ましたが。
海外で、一度だけ油断して水に当たったお話でした。
補足
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