文章を書くことは、魔法を使うことによく似ている
noteを毎日書き続けて、気づけば39日。
ノリノリで書いていた時もあれば、全く筆が乗らないことも勿論あった。そして私はひとつの事に気づく。
「文章を書くことは、魔法を使うことによく似ている」と。
もちろん魔法と言っても、
「言葉は魔法!人の生き方を変えるの!」
なんて言うそんなマジカルな話ではない。確かに、言葉が精神的に上手く働けば、魔法のように人生が上を向くことも無い訳ではない。しかし今回私が言いたいのはそういうことではないのだ。
あくまで例えの話である。軽く聞き流すくらいでいい。私の主張は、単に文章を書く作業が某RPGの魔法とMP(マジックポイント)の関係に似ているというだけなのだ。
私が普段文を書くときは、初めに考えた骨組みに沿うよう注意しながら、まず何も考えずに言葉を連ねていく。自分の内側から溢れてくるものをつらつらと、まるで水が次の分子を引き連れるように、自然と溢れる言葉をひたすら書くだけなのだ。そうして全て出し切った後で、ようやく頭の働く出番である。単語の並びを変えたり、他にリズムが良くなる同義語を検討したり、音読して語尾を調整するなどして文を推敲する。ここが実に楽しいところだ。自分の文を添削して好みの文にする作業なのだから、楽しいのは当たり前なのだが。
それゆえ私が書けなくなっているときは、大抵その前段階に問題がある。それは文の流れが決まった後、普段ならばさらさらと2000字になるはずなのに一向に進まない時。絶食状態になったかのように、ある日突然書けなくなる。あれほど溢れていた言葉がからっきし出なくなるのだ。それはまるで内に湛えた泉が唐突に枯れたかのようだった。
そう、これがまさにド○クエでいうMPの無くなった状態なのだ。MPが0では魔法は使えない。すなわち必要なのは回復するのみだ。ゲーム内では宿屋での休息か、回復アイテムの使用という2つの方法がある。
書けない理由として、もちろん疲労で頭が正常に働かないことも大いにあるだろう。それならば必要なのは「宿屋」だ。適切な食事と睡眠を取って休息する必要がある。
しかし、大して疲れていないのに書けないという日が突然に訪れる。そして何故書けないのかと不安になり、躍起になることもあるだろう。そんな経験を何度も繰り返し、ある日私はようやく気づいたのだ。そこで力を発揮するのが「回復アイテム」だということに。
「MPゼロ」すなわち出涸らしの状態の自分の内側を満たすもの。つまり必要なのはそれを満たす言葉なのだ。私は具体的な「回復アイテム」として、常に机の近くに三島由紀夫の「午後の曳航」を置いている。そして言葉が出なくなったり文章の乱れを感じたら、すぐに適当に開いて音読するようにしている。個人的に声に出すほうが無意識下への刷り込みが強いように感じるので、積極的に音読するようにしている。もちろんこれにより文体が多少影響を受けるので、書いているものが小説の場合はそれにあったもので回復するのがおすすめだ。
私と同様に疲れていないのに書けなくなってお悩みの方は、ぜひ一度書く手を止めてみてほしい。そして自分の好きな本を手に取って、ゆっくり音読してみて頂きたい。その文章のリズムを楽しむように、何も考えず歌うように。今回紹介した方法は完全に私の回復方法なのだが、同じようなスタイルで文章を書いている方は多いはずだ。一文一文よく考えて書き始める人は少ないと思う。
最後にこのnoteを一言でまとめると
「空になったら満たせ!」
ということになる。しかしこう書いてみたものの、本当はそうなる前に補給するのが理想なのだ。しかし皆さんお分かりの通りこれが中々上手くいかない。モチベーションの関係もあり、みな書けるときは延々と書きたいと思うはずなのだ。
けれどもこれに関して悩む必要はあまりないと私は思う。何故かと言うと、これこそが創作者の永遠の課題、インプットとアウトプットのバランスなのだから。