雑感記録(37)
【"死"について断章】
連日、ニュースで著名人の死去について報じられています。
ギリギリテレビっ子世代なので、お二方ともよくテレビで拝聴しておりました。アントニオ猪木さんに関しては全盛期の頃はまだ僕が生まれていなかったので、実際の試合は見たことはありませんがその存在は知っていました。モノマネ芸人さんが演じていたり、「元気ですか~!」という掛け声?と言うのでしょうか?それだけはよく知っていたような気がします。
この曲も何故か耳に残っていて、プロレスに疎い僕でも誰のテーマ曲かは聞けばすぐに分かる程でした。
三遊亭円楽さんは何と言っても笑点の影響が大きかった気がします。日曜日、祖父の家に行くと大体笑点がテレビに映っていた記憶があります。落語について詳しくなくても「あ、この人は知っているぞ!」という感覚はあったと思います。
ご冥福をお祈りします。
ところで、三遊亭円楽さんはどうやら肺がんで亡くなったらしいということを聞いて、少し僕は心がざわざわしてしまいました。自身がタバコを吸っているから肺がんになるリスクが高いとかそういった単純な理由からではありません。僕が大好きだった祖父も肺がんで亡くしているので、どうもそこがダブって見えてしまって、心中穏やかではいられなかったのだろうと思います。
僕の祖父が亡くなったのは、僕が小学校2年生の時で未だにあの瞬間は頭の片隅にこびりついています。ふとした瞬間に、その瞬間がいつかというのが断定できないところがあるのでまた難しいところなんですが…思い出されてしまうのです。
祖父はかなりワイルドな人で、小さい頃山へ山菜採りやタケノコ採りへよく連れて行ってくれたのですが、1人でズンズン山の奥の方まで行ってしまって家族はみんな置いてきぼりを食らっていました。僕も行きたいと思って後ろをついて歩くと「危ないから来るな!」とよく叱られたもんでした。
よく覚えているのは、僕が幼稚園の年中ぐらいの時にタケノコを採りに行ったんですね。その時にイノシシに遭遇したんですよね。どんな経緯で遭遇したかは実はハッキリと思い出せないのだけれども、その遭遇した場面はよく覚えているものです。僕が大きな声で後ろにいる祖父に「じいじ!イノシシ!」って叫ぼうとしたら後ろから口を押えられて、耳元で「しっ!」と言われ、小さな声で「そのまま後ずさりしろ」と言われ、事なきを得たというような話です。
あとよく覚えているのは、そこらへんに生えている雑草をよく食べさせられたことです。祖父の家の目の前が川に面していて、歩いて10分ぐらいのところに公園があったのでよく祖父と散歩していました。今思えば、タバコを吸いに行ったのではないかなんて…。
ある時、その公園から祖父の家に向かって歩いている時に、いきなり川の方に向かって斜面をズサーっと降りて行ったんですね。もう僕は置いてきぼり。さすがにこれはついて行けない。しばらく戻ってくるのを待っていました。10分ぐらいだったのかな。手にデカイ草をもってきて、茎のところを歯で噛んで筋を何本か裂いて、僕の口元に無言で突き出してきました。「これ何?」って聞いてみると「遭難した時にこれで水分を補給できる。覚えておきなさい。」と。草の説明は一切ありませんでした。
さて一口…うーん…確かに水分は凄かったけど…草!草だよ!となったことはよく記憶しています。ちなみにどんな雑草かはもう忘れてしまいました…。遭難してしまった時はどうしようか…。
ここまで長ったらしく感傷に浸ってしまいました。すみません。
しかし、「死」という現象はどうも僕には不思議なんです。何を以てして「死」と認定するのかっていうところが難しいなあと思うのです。そこに僕はいつも躓いてしまう。
よく、「人の記憶に残り続ければその人は死んでいない」的な話をよく耳にすると思うんです。確かにそれは間違っていないし、そもそもそれを間違っているだの正解だのと判断すること自体おかしな話なんですが、僕は少し違うんじゃないのかなと思ってしまうんです。
例えば、僕は祖父を小学校2年生で亡くしました。僕は絶対に何があろうと祖父のことを忘れません。自分の命を懸けてもです。これから先も、もし子供が自分に出来た時には話をしたいなと考えてはいます。しかし、仮に僕が自身の息子かあるいは娘に話をして、それを語り継いでくれる人が親族に居るのでしょうか?あるいは祖父を知っていてくれる人達が語り継いでくれるのでしょうか?
僕の息子、孫、ひ孫…といったように連綿と親族構造は続いていく訳です。その中で僕の祖父のことをその先々に伝えていくことは可能なのでしょうか?仮にその話が語り継がれたとして、その容姿だったりは恐らく分からないと思うんです。所謂「想像上の人物」となってしまう。幻想の人とでも言えばいいのでしょうか…。
歴史的に名を残す人たちはその点で羨ましいなと思います。その分、社会に対する貢献や実績が評価されて教科書やらあるいは地方の郷土資料館に名を残せる訳ですから、知らなくても「こんな人がいたんだ」と思いを馳せることは容易にできる訳です。記録等からの人物像の作成ですよね。
これがいざパーソナルな世界になってくるとより厳しくなってきます。誰しもがその社会的な業績がある訳ではないし、家族間の中で大きな業績を残してもそれが先へ先へ進んでいくと薄れてしまう。事実としてそこに存在するだけで、そのものの存在自体は無に帰してしまうような気がするのです。
僕は時間というものについて考えを巡らせているのですが、VHSのように巻き戻すことは現実問題不可能な訳です。つまり、ここでは物理的なことを指しているので、タイムスリップして過去に戻ることは物理的に不可能な訳です。思考的、精神世界的には遡って行けるのかもしれないけれども僕はそこにも限界があるように思うのです。巻き戻す主体の時間が介在してしまうからだと僕は考えています。
何を考えるにしても、その考える主体はあくまで自分自身である訳で、こういった記憶というものは経験的なものに依拠する割合が大きいような気がしているんです。僕らが何故、日本史や世界史を勉強してその人物をさも「知っている」と認識できるのは恐らく資料による記憶、あるいは多くの人が残した記録による再現、要は「型」みたいなものが容易にでき、なおかつその主体による思考の介在によってその人物像を容易に形成できるからだと思うんですね。
つまり、同じ人物でも色んな人物像が形成可能というところです。織田信長Aが居れば、織田信長Bが居て。はたまた、各資料とその主体による考察によって織田信長Cが生まれる。こういったことが歴史上の人物たちは可能な訳で、どんな形であれ我々の記憶に常に動態的に変化を繰り返しながら記憶に残り続ける。いや、むしろ死んでなお日々進化しているのです。
これがじゃあ、家族間で出来るかと言われるとやはり厳しい。事細かに家族史なるものを作成していれば別なのかもしれませんが…。僕が言いたいことは畢竟すると「死」と言うものはある一定の期間までは肉体が死せども、時間が進んでいくにつれて進行していくものであると考えています。
ただ、少なくとも言えることは「自分だけ忘れなきゃそれでいいんじゃないか?」っていうことだと思います。
なんでこんな話を書こうかと思ったキッカケの1つは上記にあるように、著名人が祖父と同じ病気で亡くなったということもありますが、もう1つ実はあります。
北條民雄の『いのちの初夜』を読んだからというのも大きな理由の1つになります。昨日も本屋に行って物色していた時にこの本を見つけ、そういえば大学生の時に日本文学演習とかいう授業で友人が取り扱っていたような気がして、手に取って久々に読んでみるかと思って読みました。
ここを読んだときに僕の心は動かされました。どう言葉に表現したらいいのか分からないんですが、「死」という言葉が僕の心を動かしたのは間違いない事実であります。
これを読んだことで少し書いてみようと思ったのがキッカケです。「死」というものに対して今生きている我々がどう捉えていくのかをこれから少し考えて見ようと思います。上記でも少し触れましたが、時間と言う観点から少し深堀していくのもいいのかなと考えています。今日の記録はその一端ということで記しておきます。
よしなに。
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