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永遠はないから
8月がはじまったばかりの、とある朝。いつものように目が覚めたけれど、ベッドから起き上がるのがしんどかった。7月末から浮き沈みを繰り返していたわたしの心が、その日は少し重く沈んでいるのを感じた。
そのうち上がってくるだろうと思っていた心の調子は、上がるどころか日に日に下がっていった。
まず分かりやすく気力や意欲が失われていった。朝に起きれなくなって 昼まで眠るようになり、起きても身体も心も重いからと 日中のほとんどをベッドで過ごした。
動かないのに食べる量だけ増えて、お腹も空いていないのに何かを埋めるように食べものを詰め込んだ。どれだけ食べても心は満たされなかった。むしろ、心は鬱に蝕まれていった。
何年もの間 毎日書いている日記が書けなくなったとき、自分の限界が近いことに気がついた。これほど調子が悪いのは4月ぶりだった。
好きなものを楽しめなくなり、思考を止めるために寝るか、気を紛らわせるために動画をぼんやり眺めるかの生活を続けた。動画が面白いかつまらないかは関係がなかった、何を見ても心が動かなかったから。
身体だけが生きて、死んでいるような毎日だった。しんどさに耐えられない瞬間は腕を切り、薬を飲み、そういうことでしかやり過ごせなかった。そこまでして生きている意味が分からなかった。「しんどい時期はいつかかならず終わる」そう言われても、この地獄が終わる前に 耐えきれずわたしが死ぬだろうと思っていた。
その地獄に終わりが見えてきたのが、9月。
ベッドから起き上がれるようになって、日中 寝逃げしなくても過ごせるようになった。眺めているだけだったはずの動画を観て、面白いと感じることができた。ふふ、と声が出て、久しぶりに笑ったなあと思った。
苦しい時間よりも穏やかな時間が増えてきて、ああ、やっと地獄が終わったんだなと思った。今度こそだめだ、もう限界 耐えられないと思ったけれど、耐えたんだ。生き抜いたんだ。
終わりが見えなかった苦しみが、永遠じゃなくて本当によかった。
何度経験しても鬱はしんどい、しんどいという言葉では表せないほどの地獄だと思う。生きているより、死んだ方が楽だと思ってしまうくらいに。
それでもなんとか生き続けて(実際には死ねなかっただけかもしれないけれど)今がある。
わたしはこうしてまた、しんどい時期もいつかかならず終わるという経験と、地獄を耐え抜いたという実績を得た。
わたしは今、少しずつ日常を取り戻している。
しかし、活力に溢れた今のこの元気が、本来の健やかなものか病気によるものかと問われると、正直 前者と自信を持って言いきれない。それくらいの不安定さを抱えている自覚はある。
だからおそらく、ずっと続く!と信じていたくなってしまうこの元気にも いつか終わりは来る。(元気なとき、そのことを忘れてしまいがち)そしてまた鬱が来てしまう未来を避けては通れないだろう。
だけど、もし鬱になったときには思い出すようにしたい。しんどい時期もいつか終わるということ、わたしはそれを何度も耐え抜いてきたということを。
上がれば下がるし、下がれば上がる。そういう波の中で、流されないように 溺れないように、波乗りして生きていかなくてはいけない。
元気にも鬱にも永遠はないということを、心に留めて。