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閉鎖病棟

わたしは今、閉鎖病棟に入院している。入院するのはこれで4度目だ。その度に理由は様々だけれど、今回の入院は鬱と希死念慮がひどくなってしまったから、守られた安全な環境で休もうということになった。

入院してから毎日「死にたい気持ちはありますか」と訊かれる。わたしは「はい」と頷く。入院しても家にいるときと変わらず死にたい気持ちは消えない。この気持ちが消え、いいえと言えるようになる日が訪れるとも思えない。でもそれはそうか、もう何年も思い続けているんだから、すぐには消えるはずもないかとも思う。
死にたかったなら入院なんてせず死ねばよかったのに、自分を責めるそんな思考が毎日頭の中を巡る。誰かに言われたわけじゃない、ただ自分自身が、自分が生きようとすることを許せないのだ。

死ねない環境に身を置くことで、家にいたときに感じていた「今すぐ死ななくちゃいけない」といった気持ちは心に抱かなくなった。少なくとも入院している間は生きなくちゃいけない。それは、明日生きている自信もないくらい、ぎりぎりのところで命をつないでいた入院前のわたしと比べると、大きな変化である。
とはいえ、どれだけつらくとも生きるしかないということが絶望ではあるし、いつまでこの苦しみを続けるのだろうと思うと、終わらせてしまえばよかったとは考えてしまう。わたしは、わたしのために、死んであげたかった。


医師にも看護師にも「今は休もう」と言われる。家でも十分休んでいたはずなのに、こうして入院することになってしまった。わたしは一体、どれだけ休めば楽になれるのだろう。もう何年も休んでいるのに良くならない体調、変わらない現実、これは休んでどうにかなる問題なのだろうか。
身体だけが休まって心はなかなか休まらない日々だ。ずっと闘っているようなしんどさがある。死にたい気持ちを抱えながら生きることって、それくらいつらい。


「どんな入院にしたいですか」
入院してすぐ、看護師さんに訊かれた。

「生きていていいと思えるようになりたい」
わたしの口からその言葉がすっと出た。
誰に言われたわけでもないが、ただ自分自身が生きていてはいけない気がしていて、死ななくちゃいけない気がしている。それはもう何年もずっと。
生きている自分を認められず、生きようとする自分を許せないのは、つらい。
死にたいけれど、せめて死ぬまでの間は、こんな自分でも生きていていいのだと思いたい。死にたい気持ちもまるごと受け入れて、抱きしめて、そんな中で生きている自分を肯定してやりたい。
死にたいはずなのにどこかで生きたがっているわたしに、死にたくても生きていていいよ。死ねなくてもいいよ。そう声をかけられたら、きっと、ほんの少し息がしやすくなるだろう。
いつか閉鎖病棟から出るとき、少しでもそう思えていたらいいな。

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