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年齢・語彙・嗜好に合わせた個人向けAI翻訳ができたとしても

読書やスポーツなど多様な娯楽があるが、同じ娯楽の共通体験を語り合うこともまた娯楽になり得る。 『ジャンプ』連載漫画や「月9」ドラマなどの感想が、学校や職場で話されることは今でも多いだろう。 ただしこうした共通体験は、市場性及び道徳性の面から娯楽の選択肢が限られていた時代に比べると減少しつつある。 男なら、公園で野球をして学校帰りで『ジャンプ』を読んで煙草を吸って出世を目指して残業していたような時代。 インターネットが無く、酒席を断ると変わり者扱いされた時代。 現代は視聴作

    • 子供に「連帯責任を」と求める大人は個人責任しか負わない

      日本における「連帯責任」という単語は、「責任」の意味も明瞭に教えられていない義務教育期によく聞かされる一方で、「責任」を講学上のみならず体験的に分からせられる年齢になる頃には聞かなくなる。 連帯責任の簡便な定義としては、「事案と条理に鑑みて責任を負うべき者が複数名いる場合に、1名の過失を複数名の過失とすること」などとなるだろう。 しかしこの単語を義務教育期によく聞かされている時は、「(事案と条理に鑑みていようがいまいが)1名の過失を複数名の過失とすること」と認識するのではない

      • カスハラの原因である「お客様は神様です」の原因である何か。

        近年、顧客/消費者による過剰な要求(カスタマーハラスメント)が社会的に認知され、その対処が課題となっている。 カスハラの考察にあたっては、外国での接客例等との比較から、特に日本でカスハラの傾向が強いのではとの指摘もある。 本文では、カスハラの要因と日本社会との関連性について記述する。 この件ではまず、いわゆる「お客様は神様です」という格言めいたものの影響が語られることが多い。 具体的には、この言葉を言ったとされる歌手・三波春夫の現役時代を知っているのが中高年以上であるという

        • 「ロックは反抗心」に反抗されてしまったのですが。

          自由な創造性という側面のある"文化"は、一方で硬直的で権威性もある。 「メインカルチャー」と「サブカルチャー」という単語にも表されるように、上等な文化か否かが無意識的にせよ分類されている。 小説やクラシック音楽などのメインに対し、漫画やロックは長年サブ扱いされてきた。 その構図では、「それぞれの分野での表現をお互い頑張りましょう」ではなく、≪成人なら嗜んでいるべきメインの輪に入れず、低俗な児戯に勤しむ変わり者≫と道徳的な批評も伴っていた。 こうした風評に対してサブ側(表現

        • 年齢・語彙・嗜好に合わせた個人向けAI翻訳ができたとしても

        • 子供に「連帯責任を」と求める大人は個人責任しか負わない

        • カスハラの原因である「お客様は神様です」の原因である何か。

        • 「ロックは反抗心」に反抗されてしまったのですが。

          日本人に刺さる「○○氏が抱える金銭トラブル」的な見出し

          文章で読者の注意を引き付けるためには、読者層の特徴も考慮しなければならない。 その意味で、表題で示した「○○氏が抱える金銭トラブル」などという週刊誌にありがちな見出しは、日本人の特徴をよく把握したものだと言える。 週刊誌(やYouTube動画)などの視聴数を増やすために、見出し・表題を煽情的・過激にする場合がある。 ただし誇張が過ぎて、虚偽にまで至ると法律上その他の問題を招くため、ある程度多義的な解釈もできるような調整が求められる。 したがって特に表題においては、尖鋭性と曖

          日本人に刺さる「○○氏が抱える金銭トラブル」的な見出し

          AI推進派と規制派との棲み分け(又は隔離)

          AI技術について、人々の共通理解にはまだ遠いらしい。 他の分野における議論は詳しくないが、少なくとも絵画(イラストレーター、絵師)分野では深刻な分断があるとされている。 自分はAI推進派だが、賛否に関して新たな視点・論考を提示できるところまで洞察できていない。したがって従来の議論をなぞるかたちに留まってしまうが、個人的に気になっている論点を以下に羅列したい。 絵画分野のAI規制派への疑問: ・AI技術全般を忌避しているのか。あるいは、文章や音楽、また医療や防犯、農業などで

          AI推進派と規制派との棲み分け(又は隔離)

          仮称加害者が推定無罪のうちは、自称被害者は推定有罪という信仰

          我々の周囲は真偽不確かな情報に溢れている。≪歴史上の偉人は実在したのか≫から、≪有名人への風評は事実か≫まで。 特に支持者又は不支持者の多い人物・仮説が関わる論争――例えば有名人の素行不良ないし冤罪が問われる事件の場合、敵味方陣営に分かれた感情論に陥り易い。 こうした事件にあたり、最近の我々は主に二つの建前を戴いている。勧善懲悪の平等適用と、懲悪に際しての厳格審査。 すなわち、――仮に風評が事実なら、我々が支持する有名人であっても事実に応じた制裁を受けることは容認する。ただ

          仮称加害者が推定無罪のうちは、自称被害者は推定有罪という信仰

          「皆が真似したら責任取れるのか」が有効なとき

          教室のゴミ捨ては輪番で担う/共用車の使用後はガソリンを満タンにする/前回の場所とは違う飲食店で飲み会する…等、厳密に明文化されているか何となくのうちに暗黙の了解とされているかはともかく、また由来や意義が明確かはともかく、集団の中には様々な規則(ルール/決めごと)がある。 集団の総意で決めた(あるいは先代達が勝手に定めた)規則の変更には大小の葛藤が伴う。 現規則の不合理さを指摘し、改定案(単なる廃止も含む)を示し、改めて集団の中で承認を得るという真っ当な手順ばかりとは限らない

          「皆が真似したら責任取れるのか」が有効なとき

          国民が統合するための天皇と、天皇のために分断する国民

          ほとんどの共同体は、構成員を統合するための表象(象徴)を必要としており、日本国では象徴の一つとして天皇が存在している。 その一方で、統合を要するということは常に分断に傾き得ることも意味している。常に分断を志向する外れ者もいれば、「日本がまとまるのは賛成だけど、天皇という象徴には反対する」という者もおり、統合を保つことは中々に難しい。 また、天皇を尊崇する者達の間でも分断が生じることは珍しくない。 敗戦時の徹底抗戦派や、戦後に皇族方のご婚姻が相応しくないなどと批判していた者達

          国民が統合するための天皇と、天皇のために分断する国民

          必要悪は私以外の誰かがやっておいてほしい

          戦争を考えないようにしていれば戦争は起こらないと信じていた日本人の安全保障意識を、多少改めさせたのは湾岸戦争だという指摘がある。 評論家の故・西部邁は『戦争論』で、≪湾岸戦争における日本の支援は非軍事に限るべき≫という耳障りの良さそうな主張に対し、「いかなる手段もその目的とのかかわりで性格が定まる」と論述しその偽善性を批判した。 本文ではこの西部の論考を下敷きに、≪必要だが自身は手を下したくないことを他者にやらせることで、自身の道徳的地位が保たれると思い込むこと≫の欺瞞性を記

          必要悪は私以外の誰かがやっておいてほしい

          原作ファンのお気持ち

          原著作物である小説・漫画等を、二次的著作物としてのアニメ・ドラマ等にする際の改変――すなわち原作改変問題が一時期話題となっていた。 本文では、原作と二次作それぞれの読者・視聴者(ファン)の心理について考察したい。 なお、原作者と二次制作者との緊張関係に伴う諸問題――前述の原作改変問題で主な焦点となっていた事柄――については触れない。著作権等の法知識や、出版業界及び映像業界の慣行や力学を理解していない自分に有意義な記述はできない。 まず、二次作が制作-公開される際の原作読者の

          原作ファンのお気持ち

          職業に貴賎はある。でも社会の貴賎と個人の好悪は大抵合わない。

          「職業に貴賎なし」という言葉がある。江戸時代にまで遡るらしいこの句の原義は措くとして、本文では文字通りに解釈したい。 この句は、標語としては強調されてよいと思うが、事実とは言い難い。 貴いこと/賎しいことの意味が社会的な評価軸に置かれる以上、社会一般において職業ごとへの風評は厳として有ると言わざるを得ない。 あっさり言って、弁護士や医者などは貴職で金貸しや娼婦などを賎業だと大勢が思っている以上、職業に貴賎はあることになる。 職業に貴賎はあるかも知れないが、それは就労者の貴賎

          職業に貴賎はある。でも社会の貴賎と個人の好悪は大抵合わない。

          「同じ〇〇民の一人として恥ずかしい」と言う人が言いたいこと

          同じ共同体の者が、良からぬ事件を(特に共同体の外で)起こした時、「同じ〇〇民(日本人、漫画オタク、東大生、子育て世帯…など)の一人として恥ずかしい」と言う人がいる。 本文ではこうした発言が意図するところを考察したい。 発言を字義通りに受け取ると、[その事件を望ましくないものとして受け止め、なおかつ特に自身と同じ共同体の一員が起こしてしまったことを遺憾に考えている。その上で、一員による事件が他の共同体に知られてしまうことを恥だと感じている。]となろう。 前記の認識では更に次

          「同じ〇〇民の一人として恥ずかしい」と言う人が言いたいこと

          食べ物を粗末にすることと動物を虐待することの上に成り立つ社会

          「食べ物を粗末にするな」及び「動物を虐待するな」という道徳律は、日本社会に定着している。 生産事業者のみならず食材そのものにも感謝し、また動物にも愛着と敬意を抱く志向は日本人の感性に合致しているのだろうし、こうした道徳感情は今後も大切にされてほしいと自分は思う。 その一方で、経済成長や厚生保全のために、冒頭の道徳律が局限的に放棄されていることも我々は承知している。 毎日需要を不意に変えてしまう我々消費者のために、食品ロスを見越しつつ事業者は多めの食材を供給する。洗浄液や薬品

          食べ物を粗末にすることと動物を虐待することの上に成り立つ社会

          病気や障害じゃないから安心できる人々

          具体的な書名は覚えていないが、ジャーナリスト・日垣隆は[医師の診断書があっても生活に支障ない病気もあれば、診断を受けていずとも差し障りのある癖・特性もある。同じ病状でも暮らし方によって不都合度は異なるし、病状自体も≪有る/無し≫の閾値ではなく≪強い/弱い≫の程度の中で位置づけられる。]と論じていた。 本文では、この論考を参照した上で、障害そして人々の認識についても議論を広げたい。 自身にせよ他人にせよ、医師から病気と診断されたり障害を認定された場合、「健康・健常ではない」と

          病気や障害じゃないから安心できる人々

          「お騒がせ有名人」という呼称

          「お騒がせ有名人」と呼称される人々がいる。文字通り、世間をお騒がせした有名人(芸能人、スポーツ選手、インフルエンサー)の意で用いられる。 こうした呼称を使う側は、その有名人を貶す意図があると思われる。率直に言って「嫌われ有名人」(正確には「私が嫌っている有名人」)という表現とほとんど違わない。 個別具体なお騒がせ有名人については本文で一々論じない。本文では「お騒がせ有名人」が何故蔑称になるのかを考察したい。 「お騒がせ有名人」が蔑称であるからには、お騒がせすることが望まし

          「お騒がせ有名人」という呼称