カスハラの原因である「お客様は神様です」の原因である何か。

近年、顧客/消費者による過剰な要求(カスタマーハラスメント)が社会的に認知され、その対処が課題となっている。
カスハラの考察にあたっては、外国での接客例等との比較から、特に日本でカスハラの傾向が強いのではとの指摘もある。
本文では、カスハラの要因と日本社会との関連性について記述する。

この件ではまず、いわゆる「お客様は神様です」という格言めいたものの影響が語られることが多い。
具体的には、この言葉を言ったとされる歌手・三波春夫の現役時代を知っているのが中高年以上であるという事実と、中高年がカスハラをおこないやすいとの印象とが結び付けて論じられる傾向がある。

ここでは、この言葉自体の真意や用途の精査はしない。これまで何度もなされてきたその種の考察を繰り返したところで、この言葉を今も真に受けている者とそうでない者との懸隔を埋められるとも思えない。
加えて、カスハラと属性(年齢、性別、年収、学歴等)との相関関係も論じない。信用できる統計情報が手元にないのに、偏見を招く印象論を述べる意義は乏しい。
すべてのハラスメントにはする側とされる側とが居るという自明な事柄を踏まえると目新しい視点とは言えないが、以下では、カスハラの要因は顧客側に限定されずむしろ従業員側の問題も大きいことを仮説したい。

日本では、仕事とは労苦を伴うものと認識されている。更には、労苦を伴うべきとすら考える者も少なくない――この点、ドイツやプロテスタントでの労働意識との比較もできるのだろう。
そのために端的な効率化と、品質を落とす怠慢とが分別され難くもある。
かと言って職場でしばしば居る「自己満足で自他の仕事を増やす人」が歓迎されているわけでもない。
したがって、労苦を美徳とする勤労精神と並び、仕事を増やしも減らしもしない前例踏襲が重視されていると言える。

前記の前例踏襲ともやや関わるが、騒ぎを起こしたくないという国民性にも着目したい。不和や紛争を避けたがる感情が、顧客苦情への予防措置を必要以上に重ね、それでも苦情に遭った場合は反論せずにまず頭を下げる対応に顕れているのではないだろうか。
更にこうした認識を強めた結果、従業員が私生活で接客を受ける際もおもてなし精神を当然視し、服装や言葉遣いで僅かでも違和が認められれば苦情が許される――どころか苦情で教育してやるのが世のため人のためとすら考えるようになってしまう。

こうした環境が長らく続いていた一方で、近年では"昭和感への嫌悪"で言い表される各種ハラスメントの根絶・精神論や根性論の否定・上司-部下間や顧客-従業員間などの関係性の見直し…などが要請され、その風潮と並行して労働分野では「働き方改革」が志向されるようになった。

以上、主に従業員側について述べたが、それぞれの論点はこれまで各所で語られてきた通俗論を集積したものに過ぎない。
しかしながら、このようなことも改めて明記しておかないと、例えば三波春夫を知らない世代にとってはまるで「お客様は神様です」の一言で日本人の顧客-従業員意識が変容し、カスハラの主因になったと短絡されかねない。そのため、既出と冗長を厭わずに社会論等との関わりの中で考察を試みた。
ただし、元来日本人が抱いていた勤労精神その他の心性すべてを一言で言い表したような「お客様は神様です」という言葉が、やはり日本人が好む訓詁趣味での最上位近くに奉られたことで、社会に広範な影響を及ぼしたことも引き続き特筆されるべきだろう。

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