原作ファンのお気持ち

原著作物である小説・漫画等を、二次的著作物としてのアニメ・ドラマ等にする際の改変――すなわち原作改変問題が一時期話題となっていた。
本文では、原作と二次作それぞれの読者・視聴者(ファン)の心理について考察したい。
なお、原作者と二次制作者との緊張関係に伴う諸問題――前述の原作改変問題で主な焦点となっていた事柄――については触れない。著作権等の法知識や、出版業界及び映像業界の慣行や力学を理解していない自分に有意義な記述はできない。

まず、二次作が制作-公開される際の原作読者の思考を追いたい。
元より原作が好きで愛読していたのだから、二次作もこの聖典に忠実でなければならない。原作に関わるすべての情報は原作者が直接宣託するべきものに決まっているため、二次作の容量の関係で原作から情報・要素が一部欠けることはやむを得ないが、二次作が勝手に独自要素(キャラの性格変更やオリジナルストーリーなど)を加えるのは許せない。
二次作により知名度が高まるのは結構だが、そもそも二次作化し得たのは私達原作ファンが応援してきたからこそ。ゆえに二次作の内容が、原作ファンにもある程度配慮するのは当然。
無名だった原作を応援し続けてきた私達の先見の明を誇りたい。したがって、二次作は原作に忠実にした上で、さらに多くの人に好評されてほしい。
逆に言えば、私達が最も嫌う未来は、二次作が不評なことではなく、原作に忠実でない二次作が評価されてしまったとき。原作を至上とする私達の感性が否定されたように感じてしまう。

前述の描写が、原作ファンを相当誇張していることは認める。少なくとも前述のお気持ちをそのまま表明する者はまったくと言ってよいほどいない。
とは言え、前述の各項のうち一部は、原作ファンが内心で抱いているのではないだろうか。そしてそのような内心に依拠して、二次作やその視聴者に対する微妙で婉曲的な言い回しを発することも少なくないと思われる。

この一方で、二次作の視聴者にとってはこれら一切が知ったことではない。そもそも原作が在ることすら知らない場合も多い。注目している演者(声優・俳優)や制作者(監督・脚本家)が参画するから/たまたまテレビや映画館で放映していたから/知人に薦められたから…など視聴する理由は多岐に分かれる。
そして基本的には、二次作自体が面白ければそれで満足としか感じない。
仮に、SNSでの感想会などで、「原作と違う」「制作陣に妥協してしまった」など原作ファンが幅を利かせている状況に遭うとうんざりするだろう。

そもそも原作とは何だろうか。原作読者が観ているのは、原作者と出版社との間で改稿を重ねたものに過ぎず、「本当の原案」は原作者以外の誰にも分からない。出版社を通さず個人でネット掲載したものでも、読者の反応を想定/反芻する等を経て脳内で推敲が重ねられている。
二次作化においては商業化と大衆化が注目されているが、同じ工程は原作を創る過程でもなされている。
この観点では原作読者と二次作視聴者とは相対的な差異に過ぎず、共に自身が先に見たものが本来の作品の姿と思っている点で共通している。

二次作の感想として、ひとまずは内容の良し悪しだけで判断するべきだと自分は思う。
勿論、原作改変というだけで不評を述べる自由はあるが、それなら「キャラの性格が期待してたのと違って嫌」等より「原作と違うから嫌」と言明するべきだろう。
原作改変を厭うお気持ちそのものは、理屈で語れない感情の作用なので抑えようはない。自分も共感するところは多々ある。商業のためには避けられない現象という説明で納得し切れるものでもない。

しかしながらこうしたお気持ちがあったとしても、原作者を勝手に代弁したり、二次制作者やそのファンを中傷して良い理由にはならない。
物語に対する解釈違いが齎す議論は、いわゆる検索避けや地雷ペア等の概念とも関わりがありそうだが、その辺りを詳述するほどの知識はないため深入りは省く。
原作ファンとしての自負は尊いものだが、それゆえに他者を攻撃するのは望ましくない。そもそも、作品を応援して知名度を高めたのは、原作ファンだけでなく二次作ファンにも当て嵌まることにも留意しなければなるまい。

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