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<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(27)STAGE7・再会-覚醒

 ただ休むなんてもったいない。今しか出来ないことを模索する。「ネットワークビジネス」「バズるキャッチはこう考える」。本を買い漁り、ネットで検索して、家に居ながら稼ぐ方法ばかりを探していた。

 自宅に会社PCも持ってきている。奈美ちゃんに、こっそりメールをしては、状況を聞き対処したりもしていた。

 あの時、ふと浮かんだ『人の心に気付きや笑顔を与える仕事』のことは、やりたいと思っただけで、まだ心の奥にしまったまま……。

 

 夜眠れないのは、気力が満ち溢れているから。私はこんなに元気なのに、先生は大袈裟すぎ。

 通院は、三日に一度だった。次の受診の日に、私は先生に今の状況を意気揚々と話す。ちゃんと休んでるし、もう、大丈夫だと太鼓判を押してくれるだろう。
 
「全然休めていないですね」

 先生のため息交じりの言葉に、そんなはずないという焦燥感を覚えた。

「ちゃんと休んでます。だから、やる気が満ち溢れてるって感じなんです。ちゃんと食べれてますし、全然大丈夫です」
 「いえ、全く休んでないです。稼ぐことから頭を切り離してください。あなたはまだ、そこを考える次元ではない。心を楽にして、好きなことだけする。ちゃんと休まないとダメです。もしかして、会社と連絡とったりしてませんよね?仕事からは、完全に距離を取ってくださいよ!」

ギクっとした。自分の立ち位置は自分でわかっているつもりだったけど、全然わかっていなかった。

 休んで良いよなんて言われたことがないから、休み方なんてわからない。「だらしない。ちゃんとしなさい」「お前が休むために、何で俺がやらなくちゃいけないの?」そういう休んだら悪という状況を、疑問に思わず当たり前に生きてきた。

 「………休むってどうすれば良いんですか?」
 
 「何もしないで、好きなことだけするということです。ダラダラテレビを見て、眠くなったら昼寝して、掃除も洗濯もきっちりやらなくったって死にはしない。親に手伝いをお願いしたっていい。食事を作るのが面倒なら、ピザを取ったりしたっていい。花を飾ろうかなとか、天気が良いから散歩しようかなとか、その時に心が動く方を優先してみてください」

 親には、この状況を言えずにいた。「情けない」そう言って、また軽蔑の眼差しで怒られると思って怖かったからだ。

 また?親は尊敬しているが、安心できる人達じゃない。ずっとそうだった。記憶が書き換えられている。何かが少し顔をだした。

 そして、子供にも友達にももちろん言えない。ダメなお母さんを見せたくなくて。

 弱くて何も出来ない自分を隠す私。誰かに必要とされることに、自分の存在価値を置いていた。

 これまでは一人になることが、頑なに嫌だった。親といることも、私にとっては“孤独”と一緒。死にたくなる程の孤独感を、誰かで埋めてきていたと思う。
 
 でも、今は一人がいい。親の顔、子供の顔、友達の顔、彼女の顔、仕事の顔……。そういう顔でいることに疲れた。でも、もう私の顔も良くわからない。

 診察の日から、一日中ぼーっとしてる日が続く。何も食べずにテレビもつけずに、気がつけば夕方。生きるための最小限の活動だけをして、また布団に入る。夜になると、壮絶な不安が押し寄せた。それでもいつの間にか眠っている。

 それから、一日一日と少しずつできることが増えていく。好きな映画を一日中見ていたり、料理をしたり。でも、ニュースは見なかった。世の中の雑踏や悲しいことに触れたくない。

 完全に世間から断絶されているような生活を続けている中、娘が小さい頃に読んでいた絵本に目が止まる。独特な優しいタッチと、『忘れ玉』というモノを届けてまわるその物語は、今に夢中になれることや楽しさも伝えているような絵本だった。

 一瞬、目の前が光に包まれた気がする。私は、子供にせがまれて買っただけのその絵本を、食い入るように見続けた。他の絵本も見てみたいという衝動に駆られて検索すると、丁度近くの美術館でこの作家さんの企画展をやっている。

 明日行ってみよう!

 スーパー以外では、久しぶりの外出。この時は、とにかく人が怖かった。買い物も、誰とも目を合わせずに急ぎ足で済ませる。「寂しい惨めな女」「そんなんで良く生きてられるわ」と、部屋に居ても、どこに居ても、誰かに笑われているような気がしていたからだ。

 最近全然運動もしてないし、せっかくだから美術館まで歩いて行ってみようかな。

 12月の初旬。天気も良くて凛とした空気が気持ちが良い。途中に公園があることに気が付いて、道草する。

 公園の中を歩いていたら、また一瞬光に包まれて、カチッと何かが変わった感覚を覚える。緑がきれい。風を感じる。冷たい澄んだ匂い。土の感触。鳥が鳴いてる。葉がこすれる音……。

「あれ?こんなに世界って綺麗だった?」

 今まで何も感じていなかったことが不思議なくらいに輝いて見えていた。家から歩いて5分もかからない公園。引っ越してきて一度も来たことはなかった。歩みを遅くして周りを見渡すと、色々なお店や花が咲いていることにも気がついた。
 
 今まで何を見て生きてきたんだろう。もしかしたら、私が周りを見渡せない程走っていたからじゃないのかな?ゆっくり歩いても、道草しても、ゴールは変わらずそこにあるのに。何を焦っていたのだろう。

 気持ちも足取りも軽く、あっちこっちと気の赴くままぶらぶらと歩いていたら、美術館が見えてきた。こんな道もあったんだ。

 「ほら、ちゃんと着いたじゃない」

 結局は、目標の方向だけわかっていればちゃんとゴールにたどり着く。簡単な事だった。適応障害で休んでいるのは、これまで頑張ってきたご褒美タイムだ。そう思えた。不安はなくなり、周りへの感謝が溢れてくる。世の中も自分を取り巻く環境も、何も変わってはいなかったけど、確かに私の目には何もかもが変わって見えていた。

 平日の美術館は、まるで私だけの貸し切り状態。見たい絵を、誰にも気を遣わずに眺めていられる。絵本の世界を、そのまま表現したような空間に吸い込まれて、自然と顔がほころぶ。

 絵本の中の大好きなキャクターのオブジェの前で釘付けになっていたら、スーツを着た直樹が隣にいた。

 足音も息づかいも聞こえなかった。まるで降ってきたかのように現れた直樹。

 たった一日だけの再会から一年。あの時の再会後からは、直樹が心に“いる”というよりは“ある”と言った方が近いかもしれない。忘れていたわけでも思い出にしていたわけでもない。そして、嫌いになったわけでも、恋焦がれていたわけでもなかった。

 私達の時間は、時に歪む。すぐに、昨日までずっと一緒にいたかのようにいつもの二人に戻る。手を繋ぎ、また最初から絵を見て回った。

 離れていた時のことは、お互いに話すことも聞くこともしなかった。目に入ったことだけを話す。それだけで、今ここに私達はいるということを共有していた。

「どうしてここに?」
 
 言葉にはしなかったけれど、そんな心の声をお互いに感じ取って、見つめ合って二人で笑う。

美術館を出たところで、直樹が言った。
「俺さ、芹香に嫌いになることは絶対にない。忘れる事もないから安心してって言ったよね。でも、もう本当に終わりにしようと思うんだ。だから、俺たち、ちゃんと別れよう」

 唐突だった。でももう、心は暴れないでいてくれた。

 再会の最後に直樹は、離婚の時は一度別れると言っていた。直樹が離婚に向かう決意表明なのかという期待と、本当に私たちは終わるのかという絶望のどちらの感情も感じている。

 いつもどちらかの答えを求めていたから、苦しくなっていたんだ。

 だから、私はただ受け入れた。

 そのまま、私たちはバイバイをしてお互い違う方向へ歩いて行った。

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