Book「 贈与や譲与を日常に 」【街場の身体論/成瀬雅春・内田樹】

「次世代にバスを贈る。

誰かからパスを受けて、その贈り物のお陰で僕たちはここでこうしていられるわけですから、それは次の誰かにパスしなければいけない。
自分のところに留めておいたらダメで、ワンタッチで次にパスを出す。」

はっとする。

「己が持っている物をまずは自覚する。
それを最大限生かし、 育てる努力を怠らない。
それが持つ者の責任である。」

私の好きな、この言葉を思い出す。
なぜか気を抜くと持っていない物に目が向いてしまう。
欠けが気になってしまう。

愚かだと感じる。


背伸びせずとも、 必死にならずとも、見つかるはず。
いつだって自分の持ちうる物を、 明確に自覚し把握できている状態でいたい、と思う。

私が、 今の私が持っているものはなんだろう。
贈れるものはなんだろう。
自分だけでは手に余ってしまうくらい、お裾分けできるくらい育てたい。育みたい。

・本を読んで学んだことの、 考えたことを発信し、残していくこと。
(本を読み、思考を深める時間を確保する)

・絵を描くこと

・ヨガをして、ピラティスをすること

・生き方、 日々のことについて発信していくこと


例えば、今の恋人とか、やっぱり独り占めしたいことがある。 どうにか自分の手元に残しておきたいと思ってしまう物がある。 
それは執着なのだろうか。

全部を手にすることはできない、と思う。

そして、私が手に入れることによって、手にできない人、悔しい思いをした人、チャンスを逃してしまった人が必ず存在するということ。

他を蹴落としてまで本当にそれを手に入れたいのか、そこまでして欲しい物ってあんまりなかったりして。

自分より強い思いでそれを望んでいる人がいるかもしれない、 そうやって考えられる人でありたい。

自分にとって、他を蹴落としてでも得たい物はなんだろろう。 譲れない物はなんだろう。

・1人で過ごす時間。
執筆1時間、 イラスト1時間、 読書2時間、 勉強1時間。 

・ヨガ、ピラティスをする時間とお金。

私にとってはこの2つ。


全てを手にすることはできない、と思う。
全て自分の思うように進んでいかない物だと思う。
そんな思うようにいかない中で、 自分にとって大切で譲れない物たちをまっすぐに受け取れるLuckyな自分でいるために、譲れる物はせっせと手放せる軽やかさを持っていたい、と思う。

私が今こうやって生きていること、 それは私以外の多くの犠牲の上で成り立っているとも考えられる。それを忘れてはいけない。

他を輝せるために犠牲になる覚悟も必要である。

私が軽やかに他者の犠牲になるために大切と思う2つの心構え。

①上手く行っていない時、 他者を輝かせる縁の下の力持ちになっていると考えてみる。

②自分の持っているカードを自覚する。
驕るのではなく、 等身大状態でも、沢山持っている物がある。
それに気づくこと。
それを真っ直ぐ素直に育てること。

力みの無い自分にとって軽やかすぎる行いであっても、それは他者にとっては大きな力を備えることに繋がっていく。


譲れる時には軽やかに譲れる人でありたい、と思って生きてきた。

今読んでいる書籍にとても印象的な文章があったから残しておきたい。

「(エマニュエル・レヴィナス) 大切なことはギリギリの危機的局面においても、 「お先にどうぞ」 と言えるかどうかだと。
自分がここにいることは、誰かの権利を奪っていることだから、できるだけ人の権利を奪わ無いように生きる。 (この倫理観はユダヤ教に通じる)

この「お先にどうぞ」 ってエレベーターや満員電車なら言えるかもしれない。 でも、ギリギリの局面一例えばタイタニック号が沈没する際に唯一残ったボートの席を、目の前の他人に譲れるか。
考えちゃいけない。 もう即座に「どうぞお先に」 って言わなきゃいけない。

これは倫理的努力とかいい人になろうとか、 いくら頑張ったってできない。 自然にはできない。

でも、 走馬灯がキラキラしていて、 自分の人生は楽しかったと思えたなら言えるかもしれない。
ところが、 人生に悔いや執着があると、もっと生きていたいと思うでしょう。

毎日を楽しく過ごすことができたら、 執着はだんだん無くなってきて 「まだどうしてもやりたいことがある」 と思わなくなる。

だから、日々を楽しく生きることは物凄く大事な修行である。

そうすると、人に親切になれる。 「お先にどうぞ」と自然に言えるようになる。」

「夜と霧」や「遠藤周作の白い人 黄色い人」、 また「塩狩峠」を読んでいて思うことがある。

気持ちが穏やかで、 心が安らいでいる時に、 執着の無い優しい選択をすることは難しい事ではない。
だが、苦しい生死の関わる局面において、同様な判断を下す事は可能なのだろうか。

その強さを果たして私は有しているのか。

その強さは今、どのようにすれば育む事ができるのか。

そんな事を考えてきた。 その悩みを少し軽くしてくれる文だと感じた。

贈るために、己の「今」を満たしていく。

溢れ出して止まらないくらい己の「今」を満たしていこう。

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