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#151 「終わりよければ全てよし」の本当の意味

「終わりよければ全てよし」という言葉、よく使われますね。
大抵は、「結果がよければ(まぁ、途中いろいろあっても)良かったよね。」という意味で使われます。
でも、本当は違う意味が隠れているのでは?というメモ。


1、そもそも「終わりよければ全てよし」とは?

毎度で恐縮ですが、当たり前に普及した言葉ほど由来を確認するという、いつもの基本動作を。

で、調べてみたら、実は、あの、シェイクスピアの「All's Well That Ends Well」という戯曲が由来だったんですね…

全く知りませんでした…

話の内容をかなり圧縮してご紹介します。

身分が低い女性がある王族に恋をします。とはいえ普通では身分の差を超えて結ばれるのは絶対無理な世の中です。
その頃、国王が病気になります。その女性は見返りとして意中の王族との結婚を条件に国王に治療を申し出ます。見事治療に成功し、国王からその王族に結婚を命令してもらいます。
ところが相手の王族は渋々で、新婚生活もなく戦地に行ってしまいます。そして、離れ離れになのに「自分の子供を産んだら正式に妻としよう」という条件を出します。挙げ句の果てに王族は赴いた戦地で別の女性を好きになります。
ある夜、その女性と一夜を共にしたと思っていたが、実は身分の低い女性が入れ替わっていました。
都に戻ってきた王族の前に身籠った身分の低い女性が現れ、最後は結婚を申し渡した国王の前で、永遠の愛を誓うことになります。
そしてその国王の締めのセリフが
「終わりよければ全てよし」。

これが「終わりよければ全てよし」の由来となった物語です。


2、誰にとっての「終わり」なのか?

こうしてみると、「終わりよければ全てよし」という言葉には、誰にとっての「終わり」なのか?という大事な要素があることが分かります。

確かに国王にとっては、結婚を命じた二人が結婚してくれれば、約束を果たせたことになりますので「終わり」でしょうし「全てよし」でしょう。

一方で、王族の方から見ると、全く「終わりよければ」とは言えない状況でしょう。むしろこれから始まるわけです。

「終わりよければ全てよし」という言葉の裏には、「これで終わりにしたい」、もっというと、

「これまでのゴタゴタは自分の責任もあったかもしれないが、まぁ、いいじゃないか。丸く収まったんだし。みんな納得してよ。」

という発言者の思いが(程度の差はあるかもしれませんが)見え隠れします。

つまり、自己弁護、自己納得の意識が裏にあるのでは?、ということです。


3、「はじまり悪ければ終わりも悪い」?

そしてもう一つ。

この物語、そもそもの「はじまり」が悪いですよね?

身分の差を超えて恋愛を、というのは問題ないとしても、相手には全くその気がありません。それを、国王の命令で無理やり結婚させられるのです。

そんな「はじまり」であれば、「終わり」が、めでたしめでたし、になるのは難しいでしょう。

つまり「はじめ悪ければ終わりも悪い」ですし、その逆の「はじめ良ければ終わりもよし」なのです。

「終わり」に焦点が当たっていますが、実は「はじまり」とセットなのです。


4、まとめ

「終わりよければ全てよし」
という言葉は、

☑️ 誰にとっての「終わり」なのか?
☑️ これで「終わり」にしたい、という後ろめたい意識があるのではないか?
☑️ 「終わり」が「よし」になるか「悪い」になるかは、どうはじまったか、次第。つまり「終わり」と「はじまり」はセット。

ということを見てきました。

実は、今あげた中で、3つ目の話を書こうと思ってこの言葉を調べていたのですが、自分のモノの知らなさを実感しました…

おかげで、「誰にとっての」というのはその通りだなぁ、と気付きましたし、その言葉の裏には若干の後ろめたさもあるのでは?というのも気付きでした。

そして、「はじまりとセット」、ですが、これは、他にも言えるのではないかと思うのです。

例えば、

☑️ 価格勝負で受注した先は、価格で負ければ取引は切られる
☑️ 接待攻勢で受注した先は、接待交際費が絞られたら取引は切られる

このように、「はじまり方」が「終わり方」を決めるのです。

「終わりだけよい」なんてことはないのです。


最後までお読み頂きありがとうございました。

(私にとって)新たな発見がありました。なにかお役立つところがあれば嬉しいです。

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