#121 数字の「分かりやすさ」ゆえの「怖さ」
「1」は誰が見ても「1」ですし、「8.5」は誰が見ても「8.5」です。
この、数字の「分かりやすさ」は気をつけないと「怖い」なと思っていたのですが、たまたま今読んでいる本の中で立て続けにそれを裏付ける話があったのでメモ。
1、「ケーキの切れない非行少年たち」より
少し前に話題になった本です。
内容は窃盗や強盗、殺人など重大な犯罪を犯して少年院に入ってくるような少年(性別によらず「少年」と呼ぶそうです)たちの、見る力、聞く力、見えないものを想像する力、とった基本的な力がとても弱いこと、
それにより、小学校低学年ごろから勉強についていけないことでいじめやストレスによる暴力などに繋がり、学年が上がるにつれて悪化、犯罪につながった場合が多い、というものです。
その中で、以下のような記述がありました。
現在、一般的に流通している「知的障害はIQが70未満」という定義は、実は1970年代以降のものです。1950年代の一時期、「知的障害はIQ85未満とする」とされたことがありました。(中略)
しかし、「知的障害はIQ85未満」とすると、知的障害と判定される人が全体の16%くらいになり、あまりにも人数が多過ぎる、支援現場の実態に合わない、など様々な理由から、「IQ85未満」から「IQ70未満」に下げられた経緯があります。
つまり、知的障害か否かの基準を、「85」から「70」に変えることで、実態は何も変わっていないにもかかわらず、昨日まで知的障害と診断されていた同じ子供が今日からは診断されない、ということです。
その子供がどれくらいいるのか、というと、著者によれば、IQ85未満は16%、IQ70未満は2%であり、「グレーゾーン」は14%にもなるということです。
これが数字の「怖さ」だと感じます。
誰が見ても「分かりやすい」ゆえに、どこからどこまで、とバサッと決めてしまえる。その基準を「1」でも越えれば診断されない、支援が受けられない、ということです。
しかも、診断される人数が受け入れ側のキャパシティを越えるから、という、本質には何の関係もない理由で、基準の数字が変更されたとしても、昨日と今日とで診断結果が異なるのです。
2、「いかなる時代環境でも利益を出す仕組み」より
アイリスオーヤマ会長の大山健太郎さんが書かれた本です。
非常に面白く読ませて頂いているのですが、従業員の評価基準について書かれた部分で、「数字」の限界について述べているところがありました。
今、アイリスでは3つの評価基準を持っています。
1つは業績、実績。これが一番分かりやすいけれど、これほど不公平なものもないでしょう。営業社員の場合でいえば、たまたまいいお客様に恵まれたから数字がいいということがあるのです。開発社員の場合なら、担当商品が競合メーカーの出現で利益率が低下することはよくあります。これらは個人の力によるものかというと、そうとは言い切れない。物差しの一つとして実績は大事ですが、実績のウェイトは全体の3分の1です。
これは、営業に長くいた自分として非常に納得する点です。だから営業成績のいい営業マンは異動を嫌います。自分の力でなく、良いマーケットを持っているからだ、と分かっているのです。
一方で評価者は「数字」ではっきりと評価できるのはラクだし、大勢いる部下の評価に順番をつけなければならない時などは営業成績をそのままランキングに使ったりしてしまいがちです。部下への説明も問答無用で済みますから。
これも数字の「怖さ」です。
でも、さすが、アイリスオーヤマを育てた方です。数字で示せる業績、実績ことを、「これほど不公平なものはない」と指摘されています。
それをカバーするため、残りの3分の2は、「能力」(思考・伝達力)、「360度の多面評価」の2つをそれぞれ3分の1づつ合計して評価するそうです。
3、まとめ
「鉛筆をなめる」という言葉もありますが、数字の「怖い」ところの1つは、基準や数字のちょっとした操作で全然違う結論を導くことができる点です。
なまじ、「分かりやすい」数字で表現されているので根拠も明確な気がしてしまいますからより厄介です。
今日取り上げた2つの本を読んで、そういった、数字の「分かりやすさ」ゆえの「怖さ」を認識して数字を扱いたい、と改めて思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。