シマニテ
ほかの人の好きな「note」を集めている。言葉、絵や写真、映像や音楽。読み返したり、もう一度見たり、聴いたりすることはあまりないと思う。じゃあなぜ集めているのかと問われると、なんて答えていいのかよくわからない。「町に図書館があるといいですよね」としか言いようがない。(画像は昔読んで面白かった小説。特に意味はありません。 表紙:『ユニヴァーサル野球協会』 ロバート クーヴァー・著 越川芳明 ・訳
引越し中。複数のブログに分散していたエッセイをこちらにまとめようと思います。 写真・石川竜一
過去に書いたテキストの置き場です。雑多。短編小説、寓話、140字小説、自由律俳句、ボツになったキャッチフレーズなんかもあります。
真昼間だというのにアパートの外が急に騒がしくなった。窓ガラスの割れる音。パトカーのサイレンがゆっくり近づいてくる。消えた。近い。今度は別のサイレン。救急車だろう。怒号が交錯する。叫び声は一般人のそれとは明らかに異なり独特の凄みがあった。植木鉢をアスファルトに叩きつけているのか断続的に「ガシャーン」という音が路地に響く。「オルァ!」。共用玄関に脱ぎ捨ててあった誰のものかわからない健康サンダルを引っかけ路地に出た。 ここは新宿百人町。新大久保の駅から徒歩3分。そしてぼくは19歳
言葉には「鋳型」の作用があるから、いわゆる座右の銘はもたないようにしてきた。それでも好きな言葉はある。いや、気になる言葉と言ったほうが正確かな。 ひとつ目は、山崎ナオコーラさんのデビュー作『人のセックスを笑うな』の一節。「枝は美しさに向かって伸びてはいない。枝は偶然に向かって伸びている。たまたまそういう形になっている」。じつは本書を読んでいない。ある方から教えてもらって、「あっ、いいな」と思った。そうそう、小説の書き出し限定なら、綿矢りささんの「さびしさは鳴る」が好きだ。目
一か月ほど前にツイッターのタイムラインで見かけたとあるつぶやき。読み終わってから、しばらく考え込んでしまった。本文はいくつかのスレッドに分割され、比較的長文だったと記憶している。その要旨はこうだ。 「私は、こども食堂を運営しています。ひもじい思いをしている子供たちを見るに見かねて、私財を投げ打ち、この事業をはじめました。最初の頃は、子供たちから『ごちそうさま』と言われるたびに、逆にしあわせをもらっているような感覚になったものです。ところが、最近になって、あきらかに富裕層とお
ビールと酢豚と杏仁豆腐で膨らんだ腹をさすりながら、中華料理店のテレビに映るワイドショーをぼんやり見上げていた。画面の中でレンガ色のジャケットに品のないネクタイを締めた、裏口入学でも斡旋してそうな司会者が、海外のトピックスを紹介していた。 アメリカ、ノースカロライナ州に住む夫妻の愛猫が死んだ。それからしばらくして、死んだ猫のクローンがふたりのもとに届けられた。「新しい猫」は「古い猫」と体格や毛並みだけではなく、なにからなにまで一緒だった。新しい猫は古い猫と同じ場所で眠り、その
ミラクルひかるさんが、メディアアーティスト 落合陽一さんのモノマネをYouTubeにアップしている、と友人が教えてくれた。 じわじわきた。ニヤニヤが止まらなかった。しかし、動画を見ているうちにあることに気づく。演じているご本人が(神妙そうにしてはいるけれど)いちばん楽しんでいるのではないか。彼女は、落合さんで遊んでいる。直感的にそう感じた。 この二週間、仕事の合間を縫って、複数のブログに書き散らかした「テキスト」を拾い集めては「note」にまとめる作業をこつこつと繰り返し
とある掲示板の書き込みを読んで、しばらく考え込んでしまった。 「たった1000円の時給で、責任ある仕事なんかできるかよ。1000円しか貰えないのに、責任だけはしっかり取らされる。やってられね」。スレッドは盛況で、相当数のコメント(100はあった)が寄せられ、うち9割は「賛成」で占められていた。つまり「そうだ、そうだ、やってられね」。 話は、時給1000円から飛躍してしまうけれど「アポロ計画」について少し書く。ご存知の通りこのプロジェクトは、米国の威信をかけた国家事業で膨大
ぼくが小学校の2年か3年の時のお話です。 生家ではよほどの事情がないかぎり「家族全員で食卓を囲む」、というのが暗黙のルールでした。子供には、基本的によほどの事情など存在しませんから、必然的に皆勤賞ということになります。しかし、食事中に家族で楽しく会話をした、という記憶はほとんどありません。テレビはいつも消されていたし、必要最小限の会話しか許されない雰囲気が、食卓を支配していました。 食器が触れあう音、やかんのシューシューという音、あわてて席を立つ母。光沢のない床板とタイル
数週間前から気になっていた文章をやっと見つけた。1984年にオンエアされたラジオCMのナレーション原稿。 コピーと声の出演はともに寺山修二氏。なぜか急に読み返したくなって探していたけれど、なかなか見つけられなかった。あきらめかけたいたときに、ひょっこり出てきました。大好きなラジオCMです。みなさんにご紹介します。 ※以下、全文引用。 Statue:mark manders ラジオCM「ソニーカセットテープ 色と音篇」 (コピー・声の出演/寺山修司) みなさんこんばんは
「その犬と豚のどこがどう違うんだ?」 高校1年の秋だったと思う。その日は、朝から冷たい雨が降っていた。シャッターの降りた八百屋の軒下、ダンボールの中で子犬が震えていた。箱にはタオルが敷き詰められていたが、糞尿のせいですっかり汚れていた。子犬は鳴き声を上げることもなく、壊れたモーターのように小刻みに震えている。底が抜けないよう慎重にダンボールを拾い上げ、そのままアパートに連れて帰った。湿ったダンボールは「腰」がなく、思った以上にずしりと重かった。出来の悪い青春ドラマのワンシー
昨日、いや、正確には一昨日の夜。たまたまテレビのスイッチを入れると、歌人の鳥居さんが出演していた。鳥居は、姓でも名前でもなく、鳥居さんで彼女全体だ。「全体」という言い方は、なんかヘンだけれど。 番組はドキュメンタリー風ではあるけれど、広い意味でのバラエティ番組だ。数名のゲストがスタジオに招かれ、再現VTRとともに、自分のこれまでの人生を振り返る。番組のテーマは「逆転」。苦境のどん底から這い上がり、いかにして私は今の成功を手にしたか。 正直に言うと、この手の番組はあまり好き
2008年の冬だったと思う。サービスが始まったばかりの「ニコニコ生放送」(以下、ニコ生と略)が物珍しく、2週間ほど集中的に見ていた。当時から「ネトラジ」と呼ばれる音声のみのストリーミングサービスはあったけれど、一般の人々が気軽にライブ映像を配信できるサイトは限られていて、ニコ生がこの先どんな風に浸透してゆくのか、そこに興味があった。 と、もったいぶった書き方をしたけれど、なんのことはない、本当の理由は「2ちゃねらー」っていったいどんな連中なんだろう、という好奇心だ。もちろん
これまでツイッターに投稿した「140字小説」の中から好きなやつを選びました。 # 001 死んだ父に手紙を書こうと思った。青年だった彼に届く気がした。文面、ボールペンを持つ手が止る。「僕も、白い運動靴と芝生の匂いと送りバントが好きです」 生家の住所を調べ、余分に切手を貼った。封筒の裏には父の知らない私の住所。投函から二週間がたつ。あの手紙は誰が読んだのだろう。 # 002 三角公園で線香花火をした。二人ともゴム草履。浴衣は持ってなかったし、マックはご馳走だった。「大きい