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テイスト・オブ・ハニー

一か月ほど前にツイッターのタイムラインで見かけたとあるつぶやき。読み終わってから、しばらく考え込んでしまった。本文はいくつかのスレッドに分割され、比較的長文だったと記憶している。その要旨はこうだ。

「私は、こども食堂を運営しています。ひもじい思いをしている子供たちを見るに見かねて、私財を投げ打ち、この事業をはじめました。最初の頃は、子供たちから『ごちそうさま』と言われるたびに、逆にしあわせをもらっているような感覚になったものです。ところが、最近になって、あきらかに富裕層とおぼしき子供がたちが押しかけてくるようになりました。もちろん、お腹をすかせているのであれば、お金持ちの子であっても断るわけにはいきません。けれども、私の願いは、ひとりでも多く貧困に苦しむ子供たちを救うことです。そんなジレンマにさいなまれ、いったい私はなにをしているのだろうと思い悩む日々。いま、食堂の閉鎖を真剣に考えています」

貧困のせいで、満足に食べられない子供がいることは、報道で見聞きしていた。7人のうち1人が「危険水域」にいるという。なかには給食だけがまともな食事で、あとは一日中なにも食べずに、膝を抱えている子供もいるとも聞く。幼い頃に「自分は大切にされた」という記憶は、大人になっても人を支えてくれる。子供たちを飢えさせないこと。それは本来ならば国が真っ先に取り組むべき課題で、それができていないから「民間」がやむにやまれず立ち上がる。深刻な状況だと思う。

同時にその深刻さを頭で理解していたとしても、仕事を捨て、私財を投げ打ってまでお前にそれができるのか、と問われると答えは「できない」。どう逆立ちしても自分には無理だと思う。

その思いとは裏腹に、ツイートを読み終わった直後「あっ、この人は遊んでいないのだな」と直感的に思った。飢えに苦しむ子供たちを救うことのどこが「遊び」なのかと憤る人もいるだろう。自分にはできないことを棚に上げ、「遊び」とは失礼にもほどがある。その通りだと思う。が、どうか最後まで聞いてください。

ぼくの考える「遊び」とは執着しないこと。対象から距離を置くこと。その周りを軽快に動き回ること。そして振り回されないこと、である。適当、いいかげん、無責任とは少しニュアンスが違う。対象から離れることで、全体の「構造」が見えてくる。逆に近づきすぎると(たとえは不適切かもしれないけれど)、それが好きな相手だとしても「毛穴」ばかりがクローズアップされてしまう。対象に貼り付いたままでは、相手がほんの少し動いただけで自分も翻弄されてしまう。だから、遊ぶ。

付け加えるなら、その状況が深刻で、自分や相手の運命さえ左右しかねないのなら、より「遊べ」と思う。飲み込まれそうになっても、さっと身をかわすことができる。その隙に冷静さを取り戻す。これも「遊び」だからなせる技だ。実際に、「遊ぶ」を実践して、なんども窮地を脱することができた。なにより、遊びのおかげでそれなりに毎日を機嫌よく過ごせているし、立ち直りも早い。

と、ここまで書いてふと手が止まった。偉そうに書いておいてこんなことを言うのはどうかとは思うけれど「そんなに簡単に遊べるかな」という疑問が頭をもたげる。自分が遊ぶことで救われたのは事実だとしても、それはたまたま「遊びやすかった」に過ぎなかったのではないか。窮地だ、八方ふさがりだと焦ってみても、実際はそれほど切羽詰まった状況ではなかった可能性もある。もし、自分がこども食堂の運営者だったとしたら、そんな余裕はあっただろうか。自信がない。同じようにジレンマに押しつぶされて、最終的には事業そのものを投げ出していた可能性すらある。なぜ遊べないのか。それは「善行」が関係しているからだと思う。

遊ぶ遊ばない以前に「善い行い」は人を簡単に酔わせてしまう。もちろん、ツイートしたご本人を責めているのではない。どんな人にでも、特別な理由もなく、善行はただ善行というそれだけの理由で、人を酔わせてしまう魔力がある。それが、蜜の味だ。そして、善行が空回りしたり障壁に突き当たったとたん、甘かった蜜はたちまち劇薬へと変貌してしまう。甘ければ甘いほど、それは苦く切ない。

酔うな、といっても無理な話だ。どうしたらいいのだろう。酔ってる自分をどこかで自覚すること。自分がいつもとは違うという自覚さえあれば、自分で自分を追い込んでしまう前に気づくことができる。それができないから「本当に」酔ってしまう。

哲学者の中島義道氏の言葉を思い出した。「善い行いをしたと思ったら後ろを振り返らずに、さっさとその場を離れることです」。こども食堂を「場」と捉えてしまうと、さっとそこから離れるのは、むつかしいくなる。ならば「精神的に」離れる。蜜の味は、甘くておいしい。ストイックな人は、それすらも往々に否定しまう。おいしいものはおいしいでいい。それを受け入れられなければ、自分が先にすり減ってしまう。 

photo:Ryu Ika


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