好きなことで生きていくってもしかして不健康?
とうとう人生最高体重に到達しました、くるねです。
成長期ははるか昔に過ぎたはずなのに、未だ絶賛成長中なわたしの身体だが、この体型はわたしの食べた分の成長を遂げていて、成果としてしっかりと数字でみせつけてくれている。ある意味継続の大事さを教えてくれているようだ。
ここ数ヶ月の食生活を思い返せば、仕事で不安定な時期もあってか食生活に関しては規制緩和し、食べたいものを食べたいときに食べることで精神面での安定をはかっていた。
すると、このありさまだ。
仕事で悩みが増える分、その苦悩を解消するために食に走る。もはやわたしの精神安定剤的な役割をしてきた食べ物たちだったが、身体的な健康を考えると、私の体重は肥満初期の数値に足を踏み入れている。
運動習慣も特になく、機会を作ろうともせずにきた結果なので納得も納得だが、精神面での健康に気がけた先に待っていたのは不健康そのものだった。
なんとも皮肉な結果である。
食に関してはストレスのはけ口になりやすく、頼りになる存在であるが、わたしの場合食に対して少々依存的なのが問題らしい。依存的になってしまえば精神面でもあまりよろしくない。
依存とはなにかに心を奪われ、やめたくてもやめられない状態のことを言う。
いまのわたしはまさにそうと言えるのだ。仕事で自由の利かない苦悩をコントロールできる食事で補っていたし、仕事のキツさを補えるものは食べ物しかなかった。このままでは食べ物を奪われては、精神的な糸が切れてしまうだろうし再起に時間がかかるわけだ。
好きなこと“だけ”し続けるのは果たして長期的に見ていいことなのだろうか?
好きなこで生きていくというのは、自分にとってこれ以上もないいいことに聞こえるし、気持ちのいい言葉である。Youtubeでも一時流行ったが、みな目指したい境地なのだ。
わたし自身もギャンブルは好きだし、好きなことして生きていくという言葉そのものは惹かれるものがある。むしろそうして生きていくのが幸せなのではないかとさえ思っていた。
ただ、いま好きであることだけを続けていて本当にいつまでたっても幸せだろうか?いまの自分にとっての好きはいつまでも好きなままなのだろうか?
たかが28年生きてきて、世間を知った気になっているかもしれないが、おそらく世界はもっと広いし深い。
短絡的な“今の”好きなことに溺れていては、将来の自分を不健康にしてしまうようだ。少なくとも精神的には良くても身体には良くない。いいも悪いも表裏一体だ。いい塩梅が大事なのだ。
たとえ好きなことでもある程度の分散が必要だ。一強だけでは身も心も滅ぼすのだ。
仕事でもよく口にするのは、ひとつによりかかるだけは良くないのでたくさんの味方を作りましょうと話す。例えばセラピストのひとりだけに信頼が偏ってもその方にとって長期的に良いことはない。
なるべく依存の矛先にならぬような接し方が必要だし、頼れる方向性がたくさんあってこその支援だ。それが望ましいと思っている。
自分自身にも同じことが言える。適応障害と言われてからようやく平穏を取り戻していたかに思えたこの日常も、無意識下の中で新たな依存を強固にしていた。危うくまた適応障害という名の闇に放りだされるところだった。
ありがとう、体重計。
人生好きなことだけでは生きていけないらしい。
心も身体も定期的に筋トレは必要だし、少々の破壊活動により強くなるのだ。これからも立ち上がれる余力を残すくらいの負荷量で。
好きなこと以外も“少しは”しながら生きていく
では、またね
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